SEMI LYRA


手前からセミライラ、左はゼノビアR、後ろがモスコー4

 先入観を持って物に対してはいけないと云うことを、嫌というほど思い知りました。
 高知の「たかさき先生」からお預けしていたカメラが戻ってきたので梱包を解くとそのカメラ以外に3台のカメラが入っていました。 1台はブローニーフルサイズの「モスコー」、もう1台はセミ判の「ゼノビアR」、さらに「セミライラ」という具合、まさに蛇腹3姉妹です。
 これは嬉しいお心遣い、私が蛇腹カメラに傾倒していることをご存じだったのですね。
 モスコーは写りがいいと評判のカメラだったのでいつかは使ってみたいと思っていました。ゼノビアRは以前ご紹介した「ワルタクッス」の発展型ですので、これも期待できます。思わぬときにチャンスが訪れ嬉しい・嬉しい、大喜び。
 問題は最後に残った長女(昭和11年生)の「セミライラ」です。
 このカメラに関しては以前にも何かのカメラの紹介で取り上げましたが、故佐貫亦男先生が著した「ドイツカメラの本」の中で「セミライラの屈辱」という稿を寄せておられて、このカメラのことを完膚無きまで徹底的に叩きのめしているのです。
 この稿に関しては皆さんもよくご存じのことと思います。私としてはいくらドイツカメラを礼賛する内容の本とはいえ、国産カメラの味方ですので、同じ日本人としてここまで悪口を叩かなくてもと思ったほどでした。
 しかし元々技術屋の先生にしてみれば、形だけを恥ずかしげもなくそっくりセミイコンタを真似て中身の工作や部材に関しては足元にも及ばない稚拙な物をこしらえたことに腹を立てたんでしょうね。
 あまりにひどく酷評したこの記事を読んで以来、実物を見たこともないのに「そんなに劣悪なカメラだったのかぁ・・・」という先入観がしっかり根付いてしまったわけです。
 そんな訳で、このカメラとご対面したときは「うぅーむ、これが例のセミライラかぁ、どれどれ」としげしげ眺め回してしまいました。
 お借りしたセミライラは、75mm/F.35のフジコーレンズとフジコーシャッターの組み合わされたII型のようです。さすがに、たかさき先生の診療を受けただけあって、「劣等な材料」で造られているにしてはシャッターもパチクリ、絞りもスルスルスムース、すこぶる快調です。
 やはりカメラというものは手入れ次第でいくらでも寿命を延ばすことが出来るんですね。この辺が機械式カメラの良いところ、電気カメラではこうはいきません。電気を通わすことで動くパーツが逝ってしまったらそれでお終いです。
 さて、このカメラ、メッキや塗装の質は格段に違いますが、それにしても見れば見るほどセミイコンタにそっくりですね、隅から隅まで実によく似せています。これじゃぁ件の先生も腹を立てる訳だ。

 とりあえず、カメラの精度とクセが判らないので、表に出て速度を変え、絞りを変えて1本撮ってみました。
 早速現像してみると調子のいいネガが上がっています。更にルーペをあててみるとネガなのでハッキリは判りませんが、かなりしっかり撮れている様子。
 なにしろ劣悪な写りという先入観が頭にこびり付いていますから、まだ半信半疑。
 更にスキャナーで反転して拡大してみると予想とは全然違って凄くよく写っています。
「うぅ〜む、これはどうゆう事?」
 佐貫先生のように上等なカメラばかりを渡り歩いてきた高尚な写真眼を持った方には鼻にもかからない写りなのでしょうが、私のレベルでは上等の描写です。
 いくら尊敬している先生とはいえ、人の話を丸飲みにして信じてしまうのは危険だと改めて思いました。もし、たかさき先生がこのカメラをお貸しくださらなければ「セミライラの劣悪」という先入観を持ち続けちゃったはずです。
 何でも経験ですね。

 ということで、この長女、私は勝手に「上等」と判断いたしましたので作例には謹んで男らしい黒一色の世界同じ年生まれの「昭和11年製D-51蒸気機関車様」にモデルになってもらい車両をグルッと一周して撮ったものを選びました。

Semi Lyra 1

Semi Lyra 2

Semi Lyra 3
Semi Lyra 4

 

 下の作例は、次女(昭和27年生)ゼノビアR。
 今はもう無くなってしまった第一光学が作った単独距離計を備えた実に美しい仕上げのカメラで、3姉妹の中では一番の美人です。
 軍艦部のプレスなど角の成形が見事なほどに綺麗で梨地のメッキも非常に高級感があり惚れ惚れするような仕上げです。二眼レフのゼノビアフレックス同様、搭載されている切れの良いレンズ「ネオへスパー」の写りに痺れているファンは内外を問わず今だに大勢いますね。
 ファインダーは距離計併用の一眼式ですが、測った値をレンズの距離リングに移す作業が必要で、連動距離計に慣れてしまっているのでついこの移す作業を忘れちゃうんですね。
 ファインダーを覗き二重像を合わせると、これでOKとばかり安心して、シャッターを押しちゃうんですよ。
 おかげで最初の1本目はピンボケ写真のオンパレード。頭では理解しているのですが手指がなかなか着いてきてくれない、困ったもんです。

Zenobia 1

Zenobia 2

Zenobia 3

 

 下の作例は、三女モスコー(昭和29年生)。
 さすがにツァイスがコピーした(たかさき先生・談)カメラだけに「モスコー」は素晴らしい解像です。
 実際はドイツの敗戦で旧ソ連軍が侵攻し、ドレスデンにあったツァイスの設備を技術者ごと接収し、モスクワ近郊のクラスノゴルツクで造ったものですから1型に関しては「スーパーイコンタ」そのものですね。
 それにしてもそのカメラによりに寄って「モスコー」と名付けてしまうんですから、旧ソ連共産党の厚顔さも相当なものです。
 スプリングカメラといえば、目測が常識のような世界、それも殆どがfeet表示でメートル尺度が脳に埋め込まれている私などは混乱の極みに至ります。このカメラのように連動距離計があると、確実に心配の種が一つ減りますね。目測ですと現像後でないと設定した距離の良否は確認出来ませんから、それまでずぅ〜と心配を引きずっているわけです。
 「ピントはもう全て私に任せて、あなたは露出の事だけ考えていてね。」という、実に優しい女性(カメラ)です。
 フィルムサイズも6×9判ですので悠々たる大情報量、大伸ばしも難なく出来るし、じっくり被写体と向き合うような作品撮りにはぜひ欲しいカメラですね。
 因みにモスコーは終戦後の1946年から1型が生産されはじめ、1958年の5型まで12年間継続されますが、この三女は4型でした。

Moscow 1

Moscow 2

Moscow 3

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