SAMOCA 35 II

スモカとサモカ

 いやぁ〜、参りました、毎日毎晩、暑い日が続きますネェ〜、こんな暑い夏は今までに経験したことがないですねぇ。今日(04.7.20)はとうとう、40度にまで気温が上がってしまいました、観測史上、最高だそうです。
 こう暑くては眠りに就くのも一苦労、あなたは睡眠不足で体調など崩していないでしょうか?夏の間の寝不足は秋口に夏バテという形でドォ〜ッと押し寄せますので、くれぐれもご自愛くださいませネ。
 もっとも、南北に長い日本のこと、中には「うちは夜になるとヒンヤリしてきて快適なのよ」などという羨ましい環境に居を構えていらっしゃる方だって、居られるはずですね。
 私が暮らす神奈川県中部では、都心のヒートアイランドに比べると夜間で、2度ほど低くはなるのですが、湿度は同じ様なもの、寝苦しい日が毎晩続くのであります。
 現在はエアコンなども相当に普及して、快適安眠生活に浸っていらっしゃる方も多いと思いますが、これとて日常的に使っていると体調に良くありませんね。

 そういえば皆さん、「蚊帳」って覚えていますか?カチョウじゃないですよ、カヤって読みます。
 あたしの家で、蚊帳を吊っていたのはいつ頃までだったかナァ〜・・・。小学校の3、4年生の頃までは間違いなく蚊帳の中で寝ていましたね。昼間、河原の草むらで採ってきたバッタを蚊帳の中に放って遊んだ記憶がありますから。
 蚊帳を吊って寝ると言うことは、当然、窓という窓はすべて開け放っている訳ですから、物騒といえば物騒なことなのですが、当時はそれを狙って泥棒に入られたとか強盗に押し入られたという話はまったく聞いたことがありませんでしたネ。
 高度経済成長期の遙か前の時代でしたし、大体、蚊帳吊って、窓を開け放して寝ているような家はみな貧乏一家でしたから、ドロボーさんも仕事先リストから除外していたンでしょう。
 蚊帳が絶滅してしまった一番の要因は、窓枠にアルミサッシが使われるようになったからですね。サッシにはガラス戸の前に網戸が着けられるようになっていますから、これが蚊帳いらずで過ごせるようになった要因でしょう。
 さらに都市部では、原っぱの減少や下水道の整備などでボウフラの行き場所が無くなって、蚊自体が激減しちゃいましたネ。たった4、50年間の生活習慣に於ける話ですが、随分様変わりしたものです。

 そんな蚊帳の中で蒸し暑い夏の夜を過ごしていた幼年時代、私達一家は東京・大田区の西の外れにあった目蒲線沿線の矢口渡(やぐちのわたし)と言う多摩川の土手近くで、暮らしていました。地名からも想像が着く通り、その昔、多摩川を越すための渡し場があったところです。

 さて、最近になって分かったことですが、私達が当時暮らしていた頃とまったく同時期に、この矢口渡に「三栄産業」が活動していたらしいんです。
 三栄産業と言ってもどんな会社かピンと来ない方もいらっしゃるでしょう、しかし、古式カメラが好きな方なら「サモカ」というカメラをご存じではありませんか。「スモカ」なら知っているが「サモカ」なんてしらねぇナァ〜なんて言わないでくださいよ。
 スモカと言えば、あれには随分お世話になりましたねぇ。私の喫煙歴は16歳頃からでしたが、学校が喫煙にはうるさい学校でね(当たり前か?)、ある日突然に、生活指導主任が授業中になだれ込んできて喫煙検査をするんですよ。もちろん、授業は一時中断。全員ホールドアップのまま起立させられ、ガクランのポケットを探られるんです。これが徹底していてタバコの箱が出てこずとも、ポケットを裏返されて粉の有無まで調べ上げます。その後は、歯のヤニの検査、口を大きく開けさせられて歯の裏までシッカリ見られるんです。もう、ほとんどこの時ばかりは取り調べ状態ですね、生徒の人権なんて屁みたいなものでした。
 そして、証拠が出てしまうと有無を言わさず二週間の停学!ですから、スモカ歯磨きで毎朝、磨いた磨いた、必死で磨いちゃいました。しかし、この歯磨き、ヤニを溶解して取り除くのではなく、研磨材で削り落とす方法なんですね。私は、そうとは知らずに稚拙な考えで一生懸命磨いたものだから、ヤニは元より健康な歯のエナメル質までかなり削ってしまい歯が段々になってしまいました。

 あぁ〜、また横道にそれちゃった。話をサモカに戻しま〜す。
 そう、あのサモカを生み出していたのが三栄産業という会社だったのです。(最初は単体露出計などを作っていたメーカーらしいのですが、昭和27年頃からカメラ本体も製造し始めたようです。)

 いやぁ〜、ホントに驚きました。いわゆる、京浜工業地帯の真っ只中ですからどんな町工場があってもおかしくはないのですが、私が一番好きな国産カメラが同じ町内で造られていたなんて・・・。
 この矢口渡から二駅行った下丸子(しもまるこ)には、キヤノンの本社工場があったことは知っていたのです。多摩川沿いの広大な敷地に近代的な真っ白い綺麗な工場が建っていました。
 このキヤノン工場には、小学4年か5年の時に社会科見学か何かで会社訪問をした記憶が微かにあります。若い女工さん達が見渡す限りズラーッと並んで、全員お揃いの白い作業着姿で、カメラを組み立てていました。
 また、一駅手前の蒲田には、「日本光測器工業」と言う会社があって、「タロン」というカメラを造っていました。
 勿論、蒲田のお隣、大森には「日本光学」の本社工場があったわけですから、なんだかカメラ工場に囲まれて育ってきたようです。クラスメイトの中にも家業でカメラの部品をプレス加工していたり、小さなバネを巻いていたりしていた家があったことも、思い出しました。
 当時はそんなことも知らずに、この三栄産業の前を何度も言ったり来たりしていたに違いありません。

 昭和25年に創立した三栄産業は、独創的な機構を持った数多くの傑作カメラを世に送り出したのですが、例のキャノネットの出現により、苦境に立たされ原因元のキヤノンに支援を頼むことになるのですが、昭和38年、天才肌だった坂田社長は販売不振を苦にして、最期には自らの死という形で終焉を迎えてしまった悲劇のカメラメーカーでした。
 坂田さんにしてみれば、10年近く頑張ってやっと会社の呈を成してきた矢先に、キャノネットという怪物に一呑みにされてしまったわけですから、キヤノンに対して「うちはお前のせいで潰れそうだ、どうしてくれるんだ、責任取ってくれ!」と、怒鳴り込む気持ちも分からないわけではありませんが・・・。

 今回は、中でもひときわ異彩を放っていた「サモカ35」というオリジナリティに溢れた小さくて可愛いカメラをご紹介することに致しましょう。サモカと言えば、先ずこのカメラを思い浮かべるのではないでしょうか、それほどインパクトのあるスタイルをしていますね。
 三栄産業は創業当初、単体露出計などを造っていましたが、昭和27年、カメラ本体の製造に着手します。そして最初に作ったカメラがこの「サモカ35」なのですが、私の所にあるのは昭和28年に若干の手直しをして発売した「II型」です。II型といっても、I型とさほど大きな変更があるわけではなく、見た目ではほとんど差違が分かりません。
 これが昭和30年に出てきたIII型になると、基本の形はそのままなのですが、鏡胴のデザインがガラッと変わって一目で区別が付くんです。このカメラのデザインにはIII型で採用されたモダーンな鏡胴はちぐはぐで似合わないと思うのですがね。

 さて、この一風変わったデザインのカメラは使ってみると、案外、いや、かなりシッカリしたメリハリ感があります。その秘密は写真でご覧になってもお判りの通り、シャッター部だけをユニットにして(ボディの前に出っ張った四角い箱)独立させちゃったからではないでしょうか。カチッと撮って、巻き上げるとボディの中から小さな鉄板を折り曲げたノッチがパチンと出てきて、チャージボタンを押すと、そこに連動したノッチが押されてフィルムカウンターがチトッと進みます。


 うぅ〜ん、この一連の動作と仕組みが、ユニークなカメラのスタイルと共に実に愛嬌があります。さらに、レンズリングに示された絞り値表示をご覧ください。開放3.5から始まる数字は4.5になり6.3、9,12.5,18,25と、どんどんヘンテコになっていきます。この辺りにも、坂田さんの「ほかと一緒は絶対イヤだ精神」が発揮されていますでしょ。しかし、長年親しんでいる4、5.6,8,11と進む数値に慣れている身になるとコレは一瞬逡巡しちゃうんですがネ。

 シャッターブロックの右上には「A」を3つ象ったマークがありますねぇ、三栄産業だからAAAなのでしょうか、この辺は実に日本的な発想かな。それにしても、この「サモカ」とか「エズマー」って、不思議な響きのあるネーミングですね。サンエー・モダーン・カメラの頭文字かナァ〜・・・?うぅ〜ん、これは謎だゾォ〜。


プレッシャープレートは豪華クロームメッキ加工
巻き取りスプールは豪華肉厚ベークライト製です。

 まぁ、何はともあれ私の最も好きな国産カメラ「サモカ35」は、何を撮っても、何処へ持ち出しても仕事や生活で病んだ心を癒してくれる最上のカメラであることには違いないのです。もちろん、デザインや操作だけが癒しの元ではありません。このC.EZUMARレンズ(3枚玉)が創ってくれる光の世界も独特の味わいがあって、そりゃぁもう、実に美味しいのであります。


2004.7.21


サモカ35IIでの作例です

以下の写真は、Kodak Gold 200を純正現像処理。
モノクロはプレストをND-76で標準現像しています。
Nikon COOLSCAN IVでネガフィルムを直接スキャニングした画像です。

1

2

3

4

5

6

7

8

またまた、最後までご覧頂きありがとう御座いました。それでは、また・・・。

一覧へ戻る