2006年秋・冷麺の味話結末

 2005年の夏に「冷麺の味つづき話」というコラムを書いたのですが、その項の最後に<この集落も年内中には消えて、2年後には奥に見えるようなマンション群に変貌します 戦後を語る昭和の遺構がそこに住む人と共に消滅してゆきます>と結んだのですが、その後もこの集落のことはことある事に思い出し、なかなか記憶の外の出ていってくれません。
 あそこは本当にもう消えたのだろうか、もし、跡形もなく消え去ってしまったのならそんな姿をいまさら見たくはない、しかし、あのむせ返るような夏の日、もうここには長くないと知りつつも笑顔で挨拶を交わしてくれた人々がもしかして、まだしがみついて残っているのではなかろうか、50年近くを生活の基盤として生きてきた場所から、役所からの一枚の通知書でそんなに易々と立ち退けるものなのだろうか。もし、まだ留まっておられるのならもう一度お会いしてみたい、それは紙のように薄い希望ではありましたが、衝動的な想いに駆られて2006年の10月も終わりかけた頃、みたび訪ねてみました。

かぁ〜っ、現地に着いてみるとこのような遮蔽のためのフェンスが土手伝いに・・・
そして、基礎打ちのためか巨大な重機までが、やはり予想はしながら来ましたがショックです

フェンスがほんのわずか途切れている隙間があり、河原を覗いてみます
なんとなんとバラックの影など何処にもなく、高層マンションのための資材がすでに・・・
しかし、強引に首を突っ込み反対側を望むと、わっ、わずかに数件がお宅が残っていました
しかも、仔細に観察してみると、窓が開いていたり、洗濯物がひらめいていたりと
セイカツの匂いがあるではありませんかっ!
これは、ぜひ近くまで行きたい、いや、行かなくてはならぬと入り口を探しますが
フェンスの連続でどこから入れるものやら、以前だったら土手のどこからでも下りていけたのに・・・
フェンスの先端、工事車両が河原に下りるために引いた取り付け道路には番小屋が建っていて
3人のガードマンが侵入者止めをしています
残っている部落の写真を撮りたいという事情を話しましたが
「とんでもない!」 ということでそこからは入れませんでした
しかし、行きたい・見たいの衝動は強く、帰る振りをしてカーブの先、
番小屋のブラインドになる位置から塀を乗り越えました

敷地内へ入るとあまりの静けさに、なんだか不法侵入という四字が頭をかすめます
いやぁ〜、あまりの変わり様に愕然となりましたが、とにかく写真だけはと・・・
人影が全くなくて、この日現在で住まっている人がいるのかどうかは確認できませんでしたが
10軒ほどの家屋が残っていました 取り壊しが済むとフェンスで取り囲み
「われの陣地」とばかりに不動産会社が誇示していました
 

このお宅は夏の前まで立ち退きを拒んで頑張ったのか
今では人の気配はなく、夏草が屋根まで覆う勢いで・・・

このお宅、三方向を敵陣に取られ、土手の外に出る生活道路まで塞がれ
それでもまだこうして頑張っておられました

日曜ミサが行われていた地域センター教会だけが少し離れ所にポツンと残っています
この教会の両側にはズラッと軒を並べて家が建ってたのですが


主の帰りを待っているのであろう猫が戸口の前からジィ〜ッとして離れませんでした

バラックが取り壊された跡地にはまだ生活の気配が微かに残ります
大理石の加工品に写真がはめ込まれた台湾観光のおみやげ・・・主がこちらを見て微笑んでいました

河原全体を遠望すると、工事の進捗は確実でどうあがいたところで大型マンションは来年中には
建ってしまうことでありましょう
戦後を引きずりながら、我らより多くのハンデを抱えて生きてこられた
在日の人々の生活がかつてここにありました

行政にはさぞ目障りな場所であったには違いありません
遠目には平成新都市にぽっかり空いた「昭和の汚穴」のように見えたのでありましょう



また、ひとつ昭和の遺構が消え去りました

ここに掲載した写真は「Reflekta」にアクロスを使って撮影しました
今回も最後までご丁寧にご覧いただき感謝に堪えません
ありがとうございました

2006.11.2

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