OLBIA


明美ちゃん、あの日のこと憶えてる?

 人というのは、産まれてから歳を重ねるに伴っていろいろなことを経験してきます。その経験が将来への糧になり、社会生活や自立が自然に出来るようになっていくわけです。
 経験には何事にも第一回目というか最初があるわけですね。で、これは非常に大切なことで、最初にするこの経験が、上手く出来たり無事に済んだりすればいいのですが、そうはいかない場合もあるわけで、この辺が先々の人生に多大な影響を与えることもあるのです。

 みなさんの記憶の中でも、こと初体験という部分に関してはかなりのインパクトを持って思い出せるのではないでしょうか。例えば、初めて自転車に乗れた日のこと、初めて一人旅をしたときのこと、あるいは、そうそう初めて異性とキッスした日のこと・・・お相手が誰で、どんな場所で、どのようにそうなったか、相手の唇の感触は・・・、ネェ〜どうです、思い出してみてください、はっきりと思い出せるでしょ。

 日本人の場合は、欧米人と違って、キッスを日常の愛情表現としているわけではないので、異性の肌に触れるという免疫が出来ないまま思春期に突入しちゃうんですね。ですから、もう初めてのキッスなんていったら、脳味噌は沸騰してアタマはクラクラしちゃうし、当然、手足は音が出るほどにガタガタ震えちゃうし、ましてキッスの仕方など学校でも教えてくれないので、右手はこうで左手はえぇ〜と、えぇ〜と、どうだっけと、もうどうにもこうにもならないわけです。
 たまたま、その相手が経験豊富なオニーサマ・オネーサマだった場合はラッキー、上手にリードしてもらえるんでしょうが、お互いが初めてなどという場合は、悲惨かつマンガチックになってもしょうがないことです。
 えっ、オマエはどうだったんだですって、そんなことどうでもイイじゃないですか。えっ、ここまで言い出したんだから、最後まで責任取って言えですって、それじゃぁ、少しだけ思い出してみることにしましょうか。

 わたしの場合は、そのチャンスが思いも寄らないときに、ふいに訪れちゃたんです。中学2年生のちょうど今頃の時期でした。
 その年、新学期に合わせるように新潟県から転校してきた明美ちゃんっていう子がいたんですね。たまたま、自宅が近所だったもので登下校で一緒になったり、部活動も一緒だったりしていたんです。
 割と背が低くて、髪はセシールカット、ややボーイッシュな感じで丸顔、笑うと両頬にえくぼが出来る可愛い子でした。背の割には胸が異常に発達していて、同じ学年の女生徒の中では一番オッパイが大きかったかな、思春期真っ只中だったものでその事だけは、気になってしょうがありませんでした。
 そんな印象の明美ちゃんでしたが、わたしは彼女に強く惹かれたり、恋心を抱いていたりはしていなかったのです。それというのも、当時、わたしはM子さんという格別に好きな人がいて、その人以外は目に入らなかったのです。もちろん、M子さんはわたしの一方的な片思いで、いつも遠くから眺めているだけだったのですがね。

 わたしは当時、陸上競技部に入っていたんですが、別に走ったり跳んだりが好きだった訳じゃないんです、むしろ、練習がハードだったし、だいいち地味でしょ、陸上ってぇやつは。だから、ホントは好きじゃなかったの。じゃぁ、なんで陸上部だったかというと、あの頃、我が校ではどうゆう訳だかマドンナさま達がこぞって陸上部に入っていたんですヨ。ねっ、もう言わなくても分かるでしょ、不純ですネェ、最低ですネェ、紅顔の中学生失格ですよ、コイツは。で、わたしのマドンナM子さんも当然いたわけですよ、その中にネ。

 そして、ある日、部活を終え部室で着替えて教室にカバンを取りに戻ると、明美ちゃんも入って来てしばらく取り留めのない話をしていたんです。ちょうど夕暮れ前で、3階だったその教室いっぱいに夕日が射し込んで、手当たり次第すべてのものが真っ赤に染まっていました。そんな状況のなか、一瞬会話が止まったんです。そうしたら急にアタマが変になっちゃって・・・
 多分、同時に明美ちゃんもアタマが変になっちゃったんでしょうね、彼女が私の胸に飛び込んで来ちゃったんです。その後は、もう無我夢中で窓際のカーテンを二人して巻き付けながらキッスし合ったのでした。
 あのとき、なんでカーテンを巻き付けたのかナァ〜、そのことだけはやけに鮮明に覚えているんですよね。
 不思議ですね、わたしはそれまで明美ちゃんに恋愛感情なんて、欠片も無かったのですが・・・思春期特有の性衝動だったんでしょうかネ。
 それがわたしのキッス初体験、ほんとうはネ、いや絶対ネ、わたしは好きだったM子さんとキッスすることを夢見ていたんですが、結局なにも出来ずに終わってしまったのですよ。
 では、明美ちゃんとはその後、どうなったかというと、あの日が最初で最後。以後、何事もなかったかのように二人とも平静に過ごしていました。わたしは何となくその事が後ろめたかったですね、明美ちゃんにも、M子さんにも・・・。
 人生、思い通りには行かないと言うことを、はや中学2年生にして学んでしまったんですね、わたしは。

 というわけで、十代・二十代の、こと性に関する記憶なんてものは忌まわしいものの極みですから、消してしまいたいものですが、これが悪いことに絶対消えることがない!
 消えないどころか、大きな失敗をしていればしているほど、記憶のヒダに深〜く入っちゃうんですね。
 私とて、もう40年以上昔のことですが、こうして文章に書き起こせるくらいはっきりと覚えています、アナタはどうですか?

 さてさて、これまでに多くの写真機に触らせていただきましたが、今回、持ち出してきた「オルビア」という写真機は、ある意味でわたしを初体験に導いてくれた写真機です。
 何が「初」かといえば、パリ生まれの二眼レフであることです。パリのカメラは以前にご紹介した「LEC jr」で体験済みなのですが、二眼レフは初めてです。フランスの二眼カメラは「SEM」を代表として麗しいカメラが幾つかあるのですが、このオルビアというのはあまり聞いたことがありませんね。
 二眼レフに詳しい方なら、タイトル写真を一見してお判りのように「フォクトレンダー・ブリラント」をまんまコピーしたような写真機です。同機のコピーカメラは、ソビエトのコムソモーレット、チェコのインカ、フォカフレックスなど、いくつかあるのですが、フランスにもあったとは驚愕すべきことです。なぜって、そりゃぁアナタ、個性をなによりも重んじるフランス人がドイツカメラのコピー物を作るなんてぇことがあるんですかネェ〜、ちょっと納得がいかないんですよ、そのあたりが。

 でもね、このカメラ、名前がいいでしょ。オルビア・・・もう、この名前でイチコロでしたね、わたしは。
 大概、未知のカメラを物色しているときの関心は、どんな写り方をするんだろうという好奇の目を持ってやっているのですが、このカメラだけは例外でしたよ。もう、ボケて写ろうが霞んで写ろうが、そんなことどうだっていい!この目の前にあるオルビアちゃんは俺のものダァ〜ってね。
 大体、カメラの名称に女性名詞を付けるあたりが、フランスしているのかナァ〜、一目惚れでしたよ、この子には・・・。

 で、例によって少しだけ、機械の説明をしましょうね。この辺まで来ると、もう、ほとんどの方はもう読むのを止めちゃうらしいですね。でも、今回はもう少し我慢して読んでいただけると、ヘェ〜と驚かれるかも知れませんよ。
 このカメラに関しては、手持ちの資料やネット上で調べてみたのですが、さっぱり出所が判らないんです。唯一の手掛かりになるのは、シャッター速度リングの下部に彫り込まれている「GITZO・PARIS」の文字だけです。
 とすると、GITZOというのが、メーカーなんでしょうね。GITZOというと、やけに高価な三脚をすぐに想起できますが、カメラ本体のメーカーであったことは知りませんでした。多分、このカメラの形式からすると1950年代の製造とは推測が出来るのですが、GITZOはこのカメラの他にも、違った種類のカメラを製造していたのでしょうか。もし、ご存じの方おいででしたら教えていただきたいのです。


 それで、構造やスタイルはブリラントと確かに似てはいるんですがね、細部を比べると差異がかなりあるんです。 まずは、肝心なレンズ、ブリラントはご承知のように、「VOIGTAR 6.3/75mm」ですね。それで、こちらはと言うと、「H. ROUSSEL TRYLOR 4.5/75mm」というやや明るいトリプレットレンズが填っています。しかし、最短距離はブリラントが4ftに対して、こちらは5ftからと、やや遠目の設定です。
 ただ、シャッターについては、手動チャージ式で1/200秒まで切れる6速の上等なもの(ブリラントは1/75までの3速エバーセット式)が付いています。距離あわせは、ご覧のように肖像・集合・景色の3ポイントを前玉回転の目測で合わせますので、速写のスナップでも便利に使えますよ。
 それで、一番の違いはと言うと、フィルムですね。このオルビアは細軸のブローニー、いわゆる620フィルムを使うんです。そのお陰かも知れませんが、ブリラントよりはほんの少しだけ全体が小振りに仕上がっていますよ。ただ、今現在使うとなると、細軸スプールにフィルムを巻き替えなければ使えませんので不自由っちゃ不自由ですね。

 さて、そんなプロフィールを持ったオルビアですが、どんな写りか、ごゆっくりご覧ください。

 

茶色く染められた革ケースの裏側には、英語で書かれた紙片が残っていました。
英国か米国に輸出されたものだったのでしょうか・・・。 

またまた、いつもお世話になっている「たかさき」さまから貴重なコンテンツをご紹介いただきました。これで、この写真機の素性がすこしばかり分かってきました。コチラのページの下の方に紹介されています。 http://www.tlr-cameras.com/French/

2004.9.14

 

OLBIAの作例です

以下の写真は、コニカ・センチュリア100を純正現像。
Canon D2400Uでネガフィルムを直接スキャニングした画像です。

1. 四谷・荒木町-2

2. 四谷・荒木町-3

3. 四谷・荒木町-4


四谷の荒木町は、大都会のど真ん中にありながら、不思議な空間がそこかしこにあります。
昔の花街の匂いも、多少漂ってきますが、何と言っても極々狭い地域に過大な高低差!
迷路のような露地の集合、どん底に池を配したその地形は何度行っても飽きることを知りません。
詳しくはコチラ

4. 新宿-秋葉原
こうゆう写真機を持つと、どうしてもやりたくなってしまうんですよね、二重露光。
たいてい、失敗するのですが、今回はある程度アタマで描いたように写りました。


以下の作例は、コニカパン100をfuji ミクロファインで標準現像。
Canon D2400Uでネガフィルムを直接スキャニングした画像です。

5. 服部牧場

6. soyosoyo

7. 駄菓子屋さんはいつでも

8. 湘南仁王

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