Ricoh Max

覚えてますか「くろがねオート三輪」

「♪辛い恋ならネオンの海へ〜 捨ててきたのぉ〜に〜 忘れてきたに〜♪」・・・昭和32年、フランク永井さんの唄で大ヒットした「夜霧の第二国道」、いい唄でしたネェ〜。
 この頃、私の一家は東京の南端、多摩川を渡るほんの少し手前の第二京浜国道沿いにバラックを建てて暮らしておりましたので、この唄はいつまでも記憶の縁にへばりついています。
 国道を隔てた向かいには「くろがね」という当時、運送屋さんなどで盛んに使われていたバーハンドルのオート三輪車を作っていた大きな工場がありました。
 やがてこの「くろがねオート三輪車」はダイハツ・マツダに三輪車市場を追われて業態転換を余儀なくされ今では、スチール家具や学習机を作るようになってしまいましたが、オート三輪メーカーとしてはいい名称ですねぇ「くろがね」というのは。いかにも丈夫そう、2倍くらいの積載オーバーでは音を上げずにダダダダァ〜っと走ってくれそうじゃありませんか。


思いでの「くろがね三輪車」

 この道路、第二国道と言うからには第一国道があるわけで、これはまさに昔の東海道とほぼ沿っていて日本橋を起点にして横浜へ更には関西へと延びる一級国道(いわゆる、国道1号線)なのですが、産業の振興と共に京浜間の交通 需要が増し、新たに切り開いたのが五反田から東神奈川を結ぶ第二京浜国道だったのです。
 そのころは、まだ出来立てで完全舗装の往復6車線(当時こんな広い道路は東京にありませんでした)、現在のように頻繁に信号があるわけではなく、車の数だって現在の何十分の一ですから渋滞などする訳がありません、まさにスーパーハイウェイだったわけで流行歌のテーマに取り上げられるのも無理はありません。
 道路というのは唄にし易いのでしょうか70年代には荒井由美さんが当時のスーパーハイウェイ中央高速道を題材に「中央フリーウェイ」という名曲を残しているのはご承知の通りです。
 そんな「夜霧の第二国道」が巷に流れていた頃、第二国道にほど近い大森の理研光学工業では日本初のカメラ量産ラインが完成(昭和32年)し、均一な品質で上等なカメラを安価にして送り出そうとしていました。
 今回ご紹介する「リコーマックス」もそのラインから送り出されてきたもので、昭和光機製の4群6枚45mm/f.2という贅沢なダブルガウスタイプのレンズを装備し、上等な革ケースを付けて¥18,500で売り出されました。
 同時代のマミヤマガジン(3群4枚・f.2.8)が¥25,000、ミノルタV2(f.2)が¥23,000、オリンパスオートにいたっては¥34,800でしたからこの量産ラインはいかにコストダウン効果があったかお判りいただけるでしょう。

 タイトル写真では細部までご覧いただけないのが残念ですが、このリコーマックスは価格が安いからとはいえ、決して雑な作りではなくむしろその逆で非常に念の入った作り込みが成されています。各リングやレバーの操作感もしっとりとして軽々しくなく高級感に溢れていますし、リング類のクリックも節度ある工作で見事な物です。また各所に使われている大小の削りだし部品の工作精度は精密さを極め、実に美しい機械として成立しています。
 ただ日本の工業デザインのクセなのでしょうか、無機的なラインで全てが構成されているために、印象に引っかからない。もう少し有機的なラインをデザインに生かせていたらカメラの性能と相まって、後々高名なカメラになっていたかも知れません。
 全体の柄は程良くコンパクトですが重量が570gとややズシッとありますから手にしたときに、みっしり感も味わうことが出来ます。
 同時代のカメラに「ビューティ35スーパー」がります、大きさ・形が非常に似ているのですが材質や仕上げは大人と幼児ほどの差があります。
 軽々しいデジカメが蔓延しきった今日、金属カメラしか受け付けなくなってしまった時代の最先端を行くあなたには最高の友となってくれるカメラではないでしょうか。リケノンと謳ってはいますが昭和光機製のこのレンズ、決して侮れませんよ。

2004.1.6


Ricoh Maxの作例です

以下の写真は、モノクロはKonipan 100をエヌエヌシー社のND-76で標準現像処理
カラーはCenturia 200を純正現像
Nikon Coolscan IVでネガフィルムを直接スキャニングした画像です。

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