bencini koroll

ベンチーニ コロール

冷麺の味

 いま、子供達は夏休みですねぇ。
 春・夏・冬とある休みの中で一番期間が長くて楽しい思い出が残せるのが夏休みでしょう。言ってみれば、子供達にとって夏休みは休み界の王様なんですね。
 私が小学5、6年生だった頃、夏休みの思い出と言えば、朝から日が暮れる頃まで自宅の目の前の多摩川のボート乗場桟橋でハゼ釣りに興じて過ごしていました。
 朝起きて、近くの神社の境内でラジオ体操をして、ハンコ押してもらって帰ってくると、朝食もそこそこに原っぱに行って、餌のミミズ採りから一日が始まります。当時は今より地味が豊かだったのか、ドブ際に近いところをシャベルで20センチも掘り起こせば、ミミズがウジャウジャ出てきました。
 それを、拾った空き缶に湿った土と一緒に詰め込んで、釣り場である多摩川の河原へと出掛けていくのです。
 ハゼも8月を過ぎたあたりになると10センチ以上に育っていて、食欲もますますもって旺盛ですから、子供だった私でも面白いように釣れましたよ。

 ある日のこと、いつものように調子よくハゼを釣って、傍らのバケツに釣り上げた魚をポイっと放り込み何気なく後を振り向くと、物凄〜く身なりの汚い同じ年頃の少年がニコニコしながら私を見つめて立っていました。
「誰だ、コイツ、見たことないヤツだナァ〜・・・」
 大抵、このあたりで釣りをしているのは歳は違えど、同じ学校に通っているガキどもばかりですから顔ぐらいは分かっているのです。
 しかし、いま、後にいる少年はまったく見覚えがありません。
「浮浪児かなぁ〜・・・」あまりにみすぼらしい姿に、そんなことを気にしつつ10分ほどすると、私が釣り上げるたびに「釣れたぁ〜」とか「オォ、おっきぃ〜」とか声を掛けてくるようになったのです。
 最初のうちはそれが少々鬱陶しかったのですが、その日は、私も一人だったし、話し相手もなく少々人恋しかったので、「オマエも釣ってみる?」と言って、竿を差しだしてみました。
 そうしたら、一瞬、彼の目が輝いて、「いいの?・・・やらせてくれんの?」と言って嬉しそうに竿を受け取りました。

 彼は、釣りが初めてだったようで、ウキが少しでも動くと慌てて合わせてしまい、なかなか釣り上げられません。私が「ウキが水の中に消えるまで我慢して」と教えると、ようやく釣れ始めました。
 最初の一匹目を釣り上げたときには、埃で真っ黒になっていた顔が真っ赤に紅潮して凄く興奮していました。よほど嬉しかったんだろうね。
 そうやって、その日は夕方まで彼と遊んでいました。別れ際に、釣れた魚を半分ずつ分け合い、お互い「じゃ、またナ」と言って分かれたのですが、次の日も、またその次の日も釣り場にゆくと彼は先に待っていました。
 

 そんなある日、いつもの通り二人で釣りをしていると、彼が「今日は家へ来いヨ」と言って私を誘ってくれたのです。私も釣りには少し飽きかけていたし、他に面白いことがあるかも知れないと、その誘いに乗ることにしたんです。
 竿を仕舞って、彼の後を着いてゆくと、何と多摩川に架かった長い橋を渡るではありませんか。どおりで彼を見掛けたことがなかったはずです、彼は対岸の川崎側から来ていたんです。
 橋を渡り終えると、そのまま川の土手伝いを歩き続けました。1キロほども歩いたでしょうか、小学生だった私には、随分歩いたような気がしました。そして今度は彼がコッチだと言って、川原へ降りていくのです。
「なんで、家に行くのに川原へ降りていくんだろぅ・・・?」
 遠くを見ると芦原越しに3、4個の掘っ建て小屋のようなモノが見えてきました。
どの小屋も、木っ端やトタンを不細工に組み上げたようなモノでとても家の体裁はなしていません。
「まさか、家って、あれじゃないだろうなぁ・・・」
しかし、彼の家はやっぱり、その掘っ建て小屋だったのです。

 小屋の前まで辿り着くと少し、恥ずかしがるように下を向きながら「入れよ」と言って、開けてくれたその戸はコンクリートを固めるために使っていた枠の付いた板です。
 さすがに、子供だった私でも腰が引けました。彼はそんな私の表情を見て、少し悲しそうな眼をしていましたね。
 子供心に、あぁ〜何だか悪いことをしてしまったなぁ〜と反省し、意を決して中に入ると、薄暗い室内に誰かがいます、大人の女の人です。
 彼は、その人向かって何かをしゃべったのですが、私にはまったく聞いたことのない言葉です。
 私は何が何やらさっぱり分からなくて、その場に立ちつくしていたのですが、その人がそばに来て、私の手を取り、
「ヨクキテクレタネェ、アリガト・アリガト・・・」って・・・そして、眼から涙をポタポタ落としているんです。
 私は、ますます、訳が分からなくなり動転してしまって「ハイ」とか「どうも」と返すのが精一杯でした。

 いったん外に出ていったその女の人は、縁の欠けた湯飲みに水を継いで持ってきてくれ、「アツカッタデショ」と言って、私に勧めてくれながら、自分たちのことを少し話してくれました。
 その話によると、自分たちは朝鮮人で、あまりお金が無いのでこんなところに住んでいると、そして、驚いたことに彼(息子)は学校にも行かせていないのだと・・・。
 それで、友達もあまり出来ず、まして日本人の友達など一人も出来たことが無いのだと言っていました。
 私が、彼の友達になったことがひどく嬉しかったらしく、話の途中で何度も涙を拭っていました。
 彼は、私と友達になったことを最初の釣りの日以来、このお母さんに話していたようで、ぜひ、その子をココに連れてきなさいと言われていたようでした。
 そして今日はご馳走を作ったから、二人でイッパイ食べてくれと言うのです。
 彼の話し方は、まったく自然な日本語でしたが、このお母さんの話し方は少し変な日本語でした。そして、彼らだけで会話をする時は、ハングル語で話していたんです。

 そうして食事の支度が出来るまで、その掘っ建て小屋の周りで遊んでいたのですが、遠目に見て3、4軒だと思っていたその小屋の集落は、10軒以上あって、どの小屋にも人が住んでいるようでした。
 後になって知ったことことですが、この集落に住む人達はすべて朝鮮の人だったようです。
 小一時間ほどして、オモニ(確か、彼はお母さんをそう呼んでいました)さんが、我々を呼びに来て、再度小屋へ招き入れられました。
 この小屋には、窓がなく、いや、窓らしきモノは一つだけありました。上を蝶番にした板を棒きれで跳ね上げて止めておくヤツ、そこから差し込む陽の光だけですので、かなり暗いんです。
 リンゴ箱の上に板を乗せただけの食卓の上には、二人分のお皿に料理が盛られていました。
 オモニさんは、「さっ、イッパイ食べてね、もし、口に合わなければ残していいからね」と言ったことをはっきり記憶しています。なぜ、はっきり覚えているかというと、その家には電気は勿論、水道すらなかったのです。炊事をするとなれば、どんな料理にせよ、水を使うはずですね。ましてここは多摩川の河川敷です。ですから、私は川の水でこの料理を作ったのでは思いこんだんです。40数年昔といっても、ここは多摩川の下流域、とても飲用などに使える水質ではありませんでしたからね。
 ですから、その料理に口を付けることに若干の躊躇がありました。もし、変な臭いや味がしたらホントに残そうと思ったのです。
 もっとも、当時は我が家にも電機は来ていましたが、水道は引けておらず、この家と大差はなかったんです。毎度、朝夕の洗面や食事の後片づけでは、私と妹が交代で井戸のポンプを押すことが日課になっていました。

 さて、その料理の中身ですが、冷たいおソバに少し辛目の汁が掛かったようなもので、最初の一口を恐る恐る口に運んだときはビックリしてしまいました。
 おソバなんて、熱いものしか食べたことがありませんでしたからね。冷やし中華などというものが、一般的になるのはズゥ〜ッと後のことでしたから。
 しかし、口に含んで噛み味わうと、これがすご〜く美味しかったんです。シコシコしたおソバの歯触りと何とも言えぬ美味しい汁の味が絡まって・・・、生まれて初めて食べた食材と味付けでしたが、その後は美味しくて美味しくて夢中になって完食してしまいました。
 今だに、忘れることが出来ないのは、そのおソバに添えられていた煮卵を半切りにしたヤツです。今でこそ、何処のラーメン屋さんでも煮卵はありますが、当時は卵自体が貴重品でしたし、ましてそれを煮るなんていう料理法はありませんでした。
 1個の卵を半分に切って、私と彼のお皿に盛ってくれてあったんです。

 オモニさんと彼は、はじめのうち、心配そうな顔で私を見ていましたが、何を食べても「美味しい、美味しい!」とばかり言っている私を見て、微笑みながら「うん、うん」と、首を縦に揺らしながら、またまた涙を拭っていました。
 「美味しい!」と言っていたのは、嘘は何処にもなく心底「美味しい!」かったんですよ。

 その日以来、彼とは中学を卒業する頃まで親交がありましたが、ある日突然、彼が姿を消してしまいました。
 そのことが気になって、ある日、オモニさんの小屋へ行ったのですが、そこにはブルドーザーが入っていて、10数軒あった小屋は跡形もなくなっていたのです。

 あの日のことがあってから、30年近く経ったある日のこと、仕事の打ち上げで入った韓国料理屋で「冷麺」なるモノを初めて口にしたとき、まさに、あの日の味が口中に甦ったのです。
 そうだったんです、あの日、オモニさんが多分全財産を使って、ご馳走してくれたのは、まさしく「冷麺」だったのです。
 私はしばし、あの日のことが昨日の出来事のように甦って、不覚にもうっすら涙ぐんでしまいました。

 あぁ〜、またまたカメラと全然関係のない話になってしまい、申し訳ありませんでした。
 そうだ、こうなったら前段の話をなんとかカメラに結びつけなくっちぁナァ〜。
 それでは、「初めて味わう」繋がりで、イタリアのカメラをご紹介しましょう。私のコンテンツにはイタリアカメラがありませんでしたからね。

 今回取り出してきたのは、「ベンチーニ・コロール」です。生まれはミラノ、ほぼ私と同じ歳のカメラです。
 このカメラのウンチクに関しては、いつもお世話になってカメラッコさんがオーソリティ中のオーソリティ!これはもう、私ごときの出番ではありません。
 ぜひ、カメラッコさんの「コロコロ・コロール」をご覧になってくださいね。
 コロコロ・コロールのなかで、ご説明なさっている個体と私のは若干の差異がありますが、多分、こちらの方が幾分、古いカタチなのかも知れません。

 このカメラ、見れば見るほど、イタリアしてますねぇ〜、ミラノしてますネェ〜、それもフェラーリとかアルマーニといったハイソ関係とは程遠い、逆方向のイタリア労働者階級。
 よれよれの背広にハンチング被って自転車に乗っている・・・そんなイタリア人を連想してしまいませんか。
 カメラの構造だって、単玉に単絞り、そしてお決まりのギロチンシャッターは1/30秒1速のみ!
 シンプルで労働者階級御用達そのもの、こりゃぁどう見てもハイソのカメラじゃないですね。往年の名画、「鉄道員」や「自転車泥棒」などのイメージがダブってしようがありません。


単玉カメラに付き物の、湾曲したフィルムガイドレールがこのカメラでは
ストレートになっています。謎です、何でなのでしょう・・・。

 さてさて、このカメラ、ミラノの憂鬱が写るのでありましょうか。初めてのイタリアカメラ、あの日の冷麺のようにことのほか美味しいと、よろしいのですが・・・。

2003.8.3


コロールでの作例です

以下の写真は、フォルテパン100をエヌエヌシー社のND-76で標準現像処理。
キヤノン Canoscan D2400Uでネガフィルムを直接スキャニングした画像です。

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あれぇ〜、一番手前の女性にピントあわせたのにぃ?
Oh〜、何という失敗!このカメラ、てっきりフィート表示だとばかり思い込んでいました。
よ〜く見ると「2mt」となっていました。そ〜だ、イタリアはメートル表示だったんだ。
それにしても、最短で2メートルとは・・・確かに2メートル先の露天あたりにピンが来ていますね。

2

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4. 1/30秒ですが、打ったボール見えますか?

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6
ガイドレールが湾曲していないのですが、不思議と両端が崩れませんね。
どういうことなんだろう・・・。

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