・・・・・・・・・・・・三浦市周辺の狛犬達・・・・・・・・・・・・

三浦市 諸磯神明社(投稿者:ナンマイダーさま)
生息地:神奈川県三浦市三崎町諸磯1872番

 諸磯神明社の狛犬を投稿させていただきます。なんかこの狛犬、ジワーッと来るように思いまして。。。
 佐島の石工さんの遊び心や技が見られるのに、細密になりすぎたり洗練されすぎたりしていないところがニクイなぁ〜と思うしだいです。

 最近困っている事があります。不覚にも、不惑まで狛犬などを意識せず、今年7月から急激に狛犬を見て回るようになったので、どうしても横須賀市や三浦市近隣の素朴な狛犬が急激に刷り込まれてしまい、立派な狛犬を見ても感じない体質となってしまったのです。
 2009年7月21日に管理人さまとebatomさまとご一緒させていただいた三浦半島南端のツアーは、じわ〜〜〜っと味のあるお犬様が多かったように思います。また、相模湾側の小網代から三崎を経て金田湾側の南下浦菊名辺りまでの少なく見積もっても神社は8割5分ほどは制覇したと思われます。
 強烈な個性ってワケじゃないので、投稿を躊躇したりしておりましたが、あと2〜3点投稿させていただきます。

 ここは三崎港から相模湾側をちょいと北上し、油壺京急マリーナの近くです。この諸磯からは、またまた縄文〜古墳時代の遺物や貝塚が出た諸磯遺跡が発掘されています。諸磯湾、油壺湾を望める景色の良い場所に在ります。
 立派な前足で仔犬をコロンと転がし、仔犬の表情もイタズラっぽく、「パパやめてぇ〜〜!!」「ママ、爪が当ってイタイよぉ〜〜!」とか言いつつも、かまってもらえて嬉しそうですね。 
 台座の椿の彫刻も立派で、椿は三浦半島に古くは自生していたそうです。
 われらが横須賀深田神明社、諏訪神社(若松町)のものもそうで、FBCさまが御投稿されている逗子や葉山の神社の狛犬台にも椿の彫刻が見られますね。 (ナンマイダーさま・筆)

神明社狛犬ナンマイダーさまご自身の評価
●狛犬としての仕事ぶり度 ★(ちゃんと本殿を守っているがどちらかというと子育てがメインか)
●狛犬としての個性度   ★★★狛犬のスタイルとしてはこの時代のここいらのかんじでしょうか)
●癒され指数       ★★★★(仔犬の転がされてる漢字がイイ!)
●思わず笑っちゃう度   
いたずらっ子も親の手に掛かると、転がされるしかないのですねぇ〜)
●奉納日 メモを取り忘れ狛犬の制作年などが不明となってしまいました。※明治23年3月と刻まれておりました(管理人のメモから)
●作者名 佐島 石工 上田●●●と読めます。(佐島は横須賀市の相模湾側で葉山の下あたりです)
●撮影機材 Canon EOS 100QD SIGMA UC ZOOM 28-70/3.5-4.5 ILFORD XP2使用 (撮影日 2009年7月21日)


 諸磯神明社のまとめを有り難うございます。これは「子取り」の傑作品ですね、特に吽さんの子の脚の浮かせ方、刻み方は他に類のない姿勢で石工さんのセンスがこの1頭に溢れ出ているように思います。
 また、毛並みの深さや腹下の透かし具合など、ノミの立ち方が半端じゃありません。これは確かに超1級品といっていいと思いました。
 ところで、このレンズはやっぱりキレがいいですね。ボクも捜してみようかしら・・・・。このシリーズの続きも引き続きよろしくお願いいたします。(管理人)

 このレンズ、モノクロとカラーリバーサルが気に入っています。大きく伸ばすとちょっと荒くも見えますが、通常使う範囲では、気になりません。
 コントラストが高く、曇りなどでもかっちり出てくれるところが使い易いです。リバーサルでは極最近のレンズのうすっぺらい色ではなく、なかなか濃い重い色を出してくれるように思います。
 ほぼ同時期に同じスペックでSIGMA ZOOM AF−εの28-70/3.5-4.5が在りますが、コチラは8群8枚で、UC ZOOMの方は9群11枚です。
 εのMFタイプを持っておりますが画の出方は違うようです。UCズームの方はライカにOEMされたというのが妙に納得させられるような味付けに思います。安くて使い易いレンズに思います。
 なお、ゴム外装は既にベタベタし、AFはガガガガ。。。と不細工な音を立てます。写りもよく、いかにもポンコツを使っているという満足感もあり(こりゃ変ですね)、出動が増えます。
 また石の質感はしっかり出てくれるので、狛犬なんかはいいかもしれません。

 SIGMAがライカにOEMでレンズを供給していたなんて初めて知りました!これで、レンズリングに「LEICA バリオなんちゃら」とか刻まれちゃうとウン10万円の値札が付いちゃうんでしょうね、さっ・さっ、それでは「UC」と刻まれたシグマのレンズを見つけに行ってこよっと。(管理人)


社殿脇の鳥居から油壺湾を望む

2009.9.27

三浦市 海南神社(投稿者:ナンマイダーさま)
生息地:神奈川県三浦市三崎4-12-11

 神奈川県三浦市の三崎漁港は三浦半島の最南端に位置し、古くから漁港として発展していたため、徳川家康が関東に入った際に天領となっています。
 現在でも江戸時代から続いている石材を多用した蔵作りの商店なども多く残っています。東京近隣から「三崎にマグロでも喰いに行くか・・・」という観光客も京浜急行電車での出やすさもありそれなりに居ます。目の前に
「城ヶ島の雨」などにもうたわれた城ヶ島があり、昭和30年代に城ヶ島大橋が出来てからは渡船が絶えましたが、近年渡船が
復活しました。
 海南神社は三崎港からそのまままっすぐ山に入るように参道が延びています。
 〜社頭の狛犬は、己の病む個所に相当する部分を撫で、その手で患部をこすると癒るとされている(海南神社のHPより)〜
 社頭とはどちらを指すのでありましょうか。。。

●王者の風格・・・入り口の鳥居から数えて2対目の狛犬は大きさ、体格、おまけに首にかけられた注連縄は土佐闘犬の横綱を思わせます。もはや岡崎型(しょうわ)などの威嚇する態度は必要なく、余裕のある表情には恐れ入ります。やはりここいら辺は金回りも良かったんだなぁ〜 狛犬を見て
思います。(ナンマイダーさま・筆)

海南神社狛犬の評価
●狛犬としての仕事ぶり度 ★★★(文句ないでしょう、大きな横綱犬ですから邪気も逃げます)
●狛犬としての個性度   ★★★こりゃもともとの形がどうだったというよりも、風化具合も個性のうちに思えます)
●癒され指数       ★★(癒され度よりも王者として頼りがいを感じますね)
●思わず笑っちゃう度   ★★
ちょとだけ)
●奉納日 天保14年(1843年)
●作者名 三崎 庄之助・江戸小石川 細工人 久五郎 保広
●撮影機材 Canon EOS 100QD SIGMA UC ZOOM 28-70/3.5-4.5 ILFORD XP2使用 (撮影日 2009年7月21日)


 この地が家康の領地だったとは初めて知りました。将軍さまは何でもいいとこ取り出来ちゃうんですねぇ。また江戸小石川の石工さんが拘わっているのは、そのあたりの事情もありそうですね。たぶん、小石川岸の神田川にこの犬を降ろして晴海から江戸湾を真っ直ぐ南下してここまで運んできたのではないでしょうか。
 文中の「社頭」というのはこの場合、神社の先頭の方、つまり鳥居近くの方を指しているのではと思いますが・・・・そうなると3枚目以降の狛犬か?ご利益としてはこの土佐犬の方がありそうですが・・・・。(管理人)





また写真のみで失礼しますが、入り口の鳥居のところにも細工
の見事な狛犬がいますが、もともとは近くの住吉神社の狛犬だ
ったようで、合祀された折に海南神社に設置されたようです。

2009.9.17

三浦市 白山神社(投稿者:ナンマイダーさま)
生息地:神奈川県三浦市南下浦町菊名161-1

・氷蛭郷??
 西暦735年の「相模国封戸交易帳」には皇族の山形女王の食封が御浦郡氷蛭(ひひる)郷が出てくるが、その場所にはいくつか説がある。
 一つは横須賀市内の久里浜から北下浦にかけての地域。久里浜に注いでいる平作川、、、平作の古い書き方は平佐古で氷蛭迫から転じたとする説。
 もう一つは三浦市の南下浦金田の蛭田のあたり(三浦市のHPなどはこの説を採用している)。
 大昔、三浦半島を大雑把に分けると東京湾側の内浦、相模湾側の西浦、下側?を下浦と分けたそうだ。横須賀説、三浦説のいずれにしても金田湾側に面した下浦の部分だからおおよその方向は一緒だということができる。

・古墳の前に立っている白山神社
 私などは横須賀市民なので、どちらかというと氷蛭郷の横須賀説に傾きがちだが、この白山神社などを見ると「三浦市かも」と思わせられる雰囲気があった。白山神社は古代横穴墳墓の白山古墳の前に建っていて、蛭田の目と鼻の先である。古墳の存在とこの神社を守る狛犬の存在は妖気、霊気を感じ
させられる。なお現在メインの狛犬は平成10年代のものになっている。(ナンマイダーさま・筆)

白山神社狛犬の評価
●狛犬としての仕事ぶり度 ★★★(古墳の前を守り邪気妖気にさらされた姿の壮絶さは圧巻)
●狛犬としての個性度   ★★★こりゃもともとの形がどうだったというよりも、風化具合も個性のうちに思えます)
●癒され指数       0(う〜ん、これも・・・・)
●思わず笑っちゃう度   0
こりゃ笑えません!)
●奉納日 ーーー
●作者名 ーーー
●撮影機材 Canon EOS 100QD SIGMA UC ZOOM 28-70/3.5-4.5 ILFORD XP2使用 (撮影日 2009年7月21日)


 わたしもコチラへはご一緒にお供させていただきましたが、古墳の存在などまるで気付きませんでした。ナンマイダーさまの狛犬やヤシロを巡る検証もますます深くなってきて、拝見している方としてもご一緒に「探検」している気分になれます。
 このワンコ、いくら自然の悪戯とはいえ、小蔦の絡まった姿にはやはり妖気と凄みがありますね。両者共に片(手)となりつつも、なお世間を見据えている仕事ぶりには胸が熱くなりました。(管理人)




2009.9.10

三浦市 走湯神社(投稿者:ナンマイダーさま)
生息地:神奈川県三浦市南下浦町金田373番

ガリバーの訪れた地、浦賀の石工の外人顔
 管理人様・ebatomさまと7月にご一緒させていただいた三浦南端狛犬めぐりもこの走湯神社で打ち止めとなった。祭礼の時期と重なったのか、狛犬にベタっと直に赤飯を置いたりくっつけたりしてあった狛犬が散見され、この写真にも赤飯が写っています。
 管理人様の駒込・天祖神社の外人顔犬の記事を拝見してから、外人顔・・・を少し意識し、そういえば南下浦町金田の走湯神社の狛犬のご尊顔も、ちょっと西洋の匂いがしはしないか・・・・?
 また石工が浦賀の石工さんで、浦賀は家康の直轄地となり外国と貿易をする港に一時なったのではなかったか・・・・。

●三浦案針(ウィリアム・アダムス)と徳川家康と浦賀湊

 1600年3月、オランダ船リーフデ号が豊後の国佐志生(現在の大分県臼杵市大字佐志生)に漂着。弾薬や火縄銃、武器などを没収された後(この武器や火縄銃や大砲、砲員などを関が原の合戦で活用したといわれている)、ウィリアム・アダムス(後に三浦案針と名乗る)、ヤン・ヨーステンらを含めた三名を大阪に護送、五大老であった徳川家康に謁見。信任を得て外交や貿易などの顧問となった。リーフデ号は浦賀湊へ廻され修繕された、もしくは途中で嵐に会い修繕できるほどの状態ではなかったとも伝えられている。

 ヤン・ヨーステンに与えられた江戸の屋敷の在った場所は、彼の名を冠し「八与洲(やよす)」と名付けられ、後々転訛し、「八重洲」となり、現在東京駅の八重洲口など名で残っている。
 一方ウィリアム・アダムスも三浦案針(みうらあんじん)という名を与えられ、日本橋(案針町といわれていたあたり)に屋敷を与えられ、相模国三浦郡の逸見村(現在、横須賀市西逸見あたり)に250石の領地を与えられ、家康のスペイン船誘致政策に尽力し、1604年(慶長9年)、それまで中国貿易も行っていた浦賀にスペイン商船が来航。家康が死す1616年(元和2年)まで国際都市の様相を呈していたという。
事実貿易顧問の案針の屋敷、またカソリック宣教師によりフランシスコ修道院もこの時期建てられた!!
 又、こんな逸話もある。案針は英国人でプロテスタントの教徒であり当時日本に入っていたスペイン、ポルトガルなどのカトリック教徒から誹謗中傷が家康の元に数多く寄せられ、案針が日本に流れ着いた時にイ
エズス会から処刑するよう請願が出されたが、案針は家康に信任され重用された。
 その後も案針を亡き者とする動きもあったが、家康の信任の厚さを知るにつれ、案針を通さぬと商売が出来ない事から案針をカトリック教徒へと改宗させる動きが活発となる。
 熱心なカソリックの教徒がカソリックの優位性を示すために「水の上を歩いてみせる」と言い出し、浦賀で実験する事となった。結局は溺れ、案針(アダムス)は浦賀の人々と共に大笑いした。
 フランシスコ修道院を立てた宣教師達は浦賀で活発にスペイン貿易に携わり、また活発な布教もしており、スペイン貿易を円滑にしようと幕府の船奉行までが信者となり、下級武士、商人、農民に影響を与えた。
 キリスト教禁令・家康の死・鎖国・・・と浦賀のキリスト教徒には弾圧が容赦なく迫るが、浦賀と山続きの横須賀市吉井の真福寺にはキリシタンゆかりのマリア観音が伝えられている。
 浦賀沖ペリー率いる黒船来航−開国のイメージが強かったが、調べれば、もうその200年以上前に西洋人や植民地のアジア人その他の人々と交流があり、更にそれ以前から中国貿易があることから、中国文化を取り入れられた伝統芸能も残っている。
 走湯神社の狛犬の制作された1800年は、スペインやイギリス船が入港し、さらにそれらの植民地下の人々が行きかい、宣教師や信者が大勢浦賀に溢れていた時代から200年近く経っている。この200年の間に案針は「唐人」から「朝鮮の人」などと書物に記され(相模国風土記稿)、人々の記憶は風化したように思われる。
 しかし、ほんの一時的とはいえ、大いに交流があった様子は言い伝えられたのではないだろうか。ヤン・ヨーステンの銅像と三浦案針(ウィリアム・アダムス)の銅像と比べれば走湯神社の狛犬は案針に似ている。
 案針の浦賀や江戸での記憶は、思わぬ所に飛び火し思わぬ形で日本に帰ってきた。
 
●「ガリバー旅行記」
 我々が絵本などで知っている部分でない所に、ガリバーは日本に立ち寄る場面がある。不思議な日本語らしからぬ地名の港に上陸し、首都江戸へ向かったとある。原作者ジョナサン・スウィフトの書棚には、三浦案針がイギリスの妻に送った書簡集があった。
 最初に上陸したXamoschiという地名は、手書きや筆記体での書体を思い浮かべ、似た文字の誤記を連想すると浦賀のすぐ近い地名が浮かび上がり、記述された地形や場所と照らし合わせても間違いがなかろう。(ナンマイダーさま・筆)

走湯神社狛犬の評価
●狛犬としての仕事ぶり度 ★★★(問題なし!現役です)
●狛犬としての個性度   ★★★小顔で彫りが深く少し毛もじゃ。案針の銅像にどことなく面影が。ぐるぐると大きな巻き毛は目を見張る)
●癒され指数       ★★★(長く見ていると癒されます)
●思わず笑っちゃう度   ★★★
小顔なのに大きな車輪のような巻き毛、どことなくアンバランスで微笑を誘います)
●奉納日 寛政12年11月(1800年)
●作者名 石工 浦賀 石屋 源右エ門
●撮影機材 Canon EOS 100QD SIGMA UC ZOOM 28-70/3.5-4.5 ILFORD XP2使用 (撮影日 2009年7月21日)


 いやぁ〜、「八重洲」の語源が和蘭人ヤン・ヨーステンから来ているって初めてしりました、コレにはビックリ!やはり、この浦賀のあたりは江戸への入口ですから長崎あたりと同様に、いろいろと外国人とのマジワリがあったろうことは容易に想像がつきますね。そのあたりを狛犬を媒介にして探るというような検証をしている人はおそらく長い歴史の中でもナンマイダーさんが初めてではないでしょうか。
 実に面白く興味深いレポートです、今後もさらに突っ込んで頂きたいと思います。こちらも出来る限りの協力は惜しみませんので・・・。(管理人)




2009.11.15

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