勝龍寺城公園のミニコマ(投稿者:madamさま)
所在地:京都府長岡京市勝龍寺町
遺 構:曲輪、模擬櫓、土塁、堀
形 式:平城
築城者:細川頼春
築城年代:暦応2年(1339年)

歴 史:室町時代の初め暦応2年に細川頼春が南朝方に備えるために築城、応仁の乱では西軍の畠山義就が修築しています。
天正元年、織田信長が室町幕府を滅ぼすと、勝龍寺城は旧城主の流れを汲む細川藤孝に与えられました。
藤孝は、その後丹後宮津に移り、矢部・猪子氏が守将となっています。
天正10年の山崎の合戦では、明智光秀の家臣三宅綱朝が勝龍寺城を守り、秀吉の大軍に攻められて落城。その後、城も廃城となりました。 
トピック:細川忠興・玉(ガラシャ)夫妻ゆかりの城としても有名です。
天正6年(1578年)8月、藤孝の嫡男忠興と明智光秀の娘お玉(細川ガラシャ)が勝竜寺城で盛大な結婚式を挙げ、新婚時代を過ごしたとされています。
城趾復元時にお玉縁のいどなどが重点的に再現されています。平成19年(2007年)2月に都市公園法施行50周年等記念事業実行委員会から日本の歴史公園100選に選ばれました。



この公園の大手門を入るところの鍵型曲輪に狛犬然としたものがあります。長岡京市と中国浙江省寧波市(上海の南部の都市)との友好都市締結20周年を記念して贈られたものです。

見事な細工をされた青石製の雲龍石柱の天辺と、石柱の周りの柵の四隅に狛犬然とした護り犬が置かれています。これを「狛犬のキモチ」の仲間に入れるかどうか、異論も出るとは思いますが、特に四隅を固める小さな犬の可愛さに惹かれ、また、平成の柵で新しいものですが、ご紹介する次第です。体高がせいぜい20cmの小さなものですが、ちゃんとした狛犬風の仕上になっており、片手で玉を押さえています。2頭身のその体躯、プリンとしたそのスベスベお尻の可愛いこと・・・・
子犬の分際で精一杯頑張ってるけなげさが感じられて、実に可愛いのであります。何度かに分けて撮っていますので、機材・天候の違いから色味の統一ができておりません。とにかくカワユイということで、お許しを・笑

勝龍寺城公園のミニコマ、madamさまご自身の感想
●狛犬としての仕事ぶり度 
★★★
●狛犬としての個性度   
★★
●癒され指数       
★★★★★
●思わず微笑む度     
★★★★★
●奉納日 平成15年(2003年)
●作者名 ーーー
●撮影機材 PENTAX K-x、SONY NEX-3


 madamさま、このたびはわたくしめの無理をお聞き入れくださいましてありがとうございました。貴掲示板でこの子の後ろ姿を拝見したときから、もうメロメロになってしまいました。なんと可愛いお尻とあんよなんでしょう!
もし、ペットショップにもこんな可愛いワンコがいたら絶対に連れて帰っちゃいますね

前姿のヨダレ掛けもとっても似合っているし、もう360度、申し分無い仕上がりでございます。
それにしても、この石柱の龍の細工は壮絶ですね、折りがあったらぜひ現物をこの眼で見てみたいものです。 
(管理人)




2011.11.19

加西市・羅漢寺(投稿者:madamさま)
生息地:兵庫県加西市北条町北条1293

 兵庫県加西市北条町に羅漢寺(らかんじ)というところがあり、五百羅漢のお寺として知られています。山陽本線の支線である加古川線の更に支線、北条鉄道北条駅から結構歩かないと行けません。とっても不便な場所で、しかも駅から遠いんです。私は歩いて行きましたが、足に自信のない人は、駅前からタクシーの方が良さそうです。車だと中国道加西ICから15分程度で行けると思います。
 この羅漢寺は天台宗の寺院で播州藥師霊場第十一番札所となっており、参拝者も多いです。この北条町は何てことのない田舎町ですが、ここを中心に観光開発したいようです。五百羅漢は現存約450体で、慶長年間頃の作と伝わっています。 寺内には小さな鳥居と祠もありまして、鳥居の足下にはこんな小さな物が・・・
 どう見ても虎なのですが、狛犬でしょうか、片方は口を開け片方は口を閉じ・・・可愛く阿吽のポーズを決めておりますが、台座もなく何と地面に直置きなのです。サイズはちょっと大きめの靴の大きさくらい、ついつい見落として蹴飛ばしてしまいそうです。実はこの狛犬?は寺の方に聞いてもさっぱり来歴は分かりませんでした。ネットで探しても何も出てきません。
五百羅漢が余りに前面に出てるので、歴史に埋もれてしまってるようです。(madam
さん談)

羅漢寺狛犬:madamさんご自身の感想
●狛犬としての仕事ぶり度 0(私が躓くまで気付かなかった。つうことは役に立ってない!)
●狛犬としての個性度   ★★(どう見ても虎ですよ。よく見てもグレた猫。)
●癒され指数       (何たってヒトの靴サイズ小さくて可愛い。地面から伸び上がって必死で仕事してる仕草が可愛い。)
●思わず笑っちゃう度   ★★★★(見つけた人の10人中9人以上は開口一番「なんじゃ、これ!!」で吹き出す。)
●奉納日 不明:多分慶長年間
●作者名 ???
●撮影機材 Minolta α-7d / SIGMA AF 30/1.4

 わっ、これは珍しい!
 こうして見るととても大きめの靴ほどとは見えずもっと大きいのかと錯覚するほどの迫力がありますね。作り方も自然石の上に乗っているようで芸が細かい。阿くんの歯の細工などまるで現物を見ているように見事!もし、下の石と一体での彫り方だとしたら相当な腕前の石工さんか・・・?
 吽くんの背中のしましまは、後からペイントのようですが、これはやはり虎をモチーフにしたものなのでしょうね。
 いやぁ〜、ある意味、番外編ですがこういう珍しいモノが全国各地に相当数隠れているんでしょうね、おもしろいナァ〜・・・。(管理人)



2009.5.25

高槻・上宮天満宮(投稿者:madamさま)
生息地:大阪府高槻市天神町1-15-5

 JR高槻駅から真北に延びる参道の突き当たりに天神山があり、標高は低いもののそこは北摂山地の裾端にあたります。古墳を含むその神域は優に1万坪を超え、広大な自然林の鬱蒼とした森に囲まれた山上に上位宮天満宮があります。
 創建は927年、天満宮となったのは993年と伝わっています。
 古来西国街道を見下ろす交通の要衝にあたるため、織田信長や豊臣秀吉はじめ多くの武将が陣を張った歴史を持っています。天正10年(1582年)の山崎の戦いのの時に豊臣秀吉は「天神馬場」に本陣を置き、その後、秀吉は戦勝に感謝して天正18年(1590年)、社地を寄進し、社殿を修造した、ということで、この時に現在の上宮天満宮の姿ができあがったと考えられます。
 狛犬も、その形態からこの時期に奉納されたと推察されますので、
天正生まれの400歳以上ということになりますかね。
残念ながら台座の摩耗が激しく、その刻印は風化していて文字は読み取れません。狛犬も文化財に指定されているようですが、その詳細は説明がなく不明です。狛犬が朝鮮半島の高麗獅子由来ということを考えるとその原形を良く残しています。吽像にはちゃんとツノが付いていたようですが、すり減って痕跡のみです。
 普通狛犬は参道近くに挟み込むように据えられているものですが、ここでは拝殿前の両脇、本殿禁裏を囲む柵の左右端に離れて置かれています。これは、拝殿から本殿への道を守るというよりも、本殿自体を守るという意味を持たせているのかな、と推察しています。
 なお、残念なことに平成8年(1996年)11月に放火により本殿を焼失しました。本殿は平成14年(2002年)に再建され、日本初の竹製の本殿となっています。

上宮天満宮狛犬、madamさまご自身の感想
●狛犬としての仕事ぶり度 ★★★★(目立たず派手さはないが、きちんと本殿を守っている)
●狛犬としての個性度   ★★★★★(極めて高麗獅子に近い原型を忍ばせる意匠は貴重)
●癒され指数       ★★★(渋い表情で、お尻がデンとして可愛い)
●思わず笑っちゃう度   ーーー
●奉納日 おそらく天正年間(1590年代)
●作者名 不 詳
●撮影機材 FUJI FinePix S5Pro


 さすがに古くから栄え、また日本の中心地であったこの地ならでは古犬をご紹介くださり、ありがとうございました。
 こちら、関東方面でもし400歳もののワンコが見つかったとしたら、これほどリアルにまた精密に彫られたものはまず有りません。そのほとんどは胴体下のくり抜きは無く、また口中のくり抜きや耳の飛び出しなどもほとんど見られません。
 これは石工さんの技術面の差もさることながら、その使用している道具の「遅れ」なども影響しているのかも知れませんね。

 取材記に「実は台座が完全にすり減っていて、石工さんや生年が分かりません。最初、吽像にツノがないので近年作かと思いましたが、それにしては形態が高麗獅子の原型に近いし、苔むしてるし、再訪して子細に見ましたら、ツノがありました!そのツノは皆が触ったからか、火災時に欠けたのか、かすかに痕跡を残すのみでありました。
 ということで、歴史的には秀吉が明智光秀の山崎の合戦でここ天神山に人を張り、勝利したお礼奉納して現在の姿になった天正18年(1590年)、社地を寄進し、社殿を修造した時期と判断しました。」
 とご報告がありましたが時代が「天正年間」まで遡るとは恐れ入りました。ツノがすり減るとは!・・・・そこに悠久の時間を感じました。 
(管理人)


2011.2.6

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