YASHICA electro GX

長生きのコツ

 先日、ニュースで報じていたのですが、キューバで世界最高齢の男性が見つかったらしいのです。その爺さん曰く「自分は1880年生まれ」だと・・・・、ということは現在、125歳ということになります。しかし、そのへんはどうも怪しいらしいのですが、記録や証言に照らし合わせると119歳以上であることは確からしい・・・。正確な年齢はともかく、そのお爺さんが約120年の間を健康で人間らしく生きてきたことが素晴らしいじゃありませんか。

 さらにそのお爺さん、記者の「長生きの秘訣は何?」という質問に答えて、「美味いコーヒーと好きな銘柄のタバコ、それに一番大切なことは女性をこよなく愛することだ」と、宣いおった。いやいや、これには参りました、実に爽快な答えなのであります。
 世間一般ではコーヒーは刺激物、あまり多飲する事は健康を害すると、タバコにいたっては万病の根元のごとくヒステリックなほどに虐められておりますね。女性に関してだって、血圧という問題に支障があるんじゃないでしょうかねぇ。

 このキューバ爺さんの実生活については、一日何杯のコーヒーを飲み、何本のタバコを吸い、どんな形でこよなく女性と接合しておられるのか、不明でありますが、自分の場合に置き換えてみると、一日のコーヒーはせいぜい3、4杯、タバコは2年程前にワケあって断ちました。酒は敢えてすすんでは飲みません。そして女性の方は、「こよなく」愛してはいるのですが、接するという形態が伴わない、とまぁ、こんな具合です。自分の未来を予想してみると、果たして70歳辺りを過ぎてお互い愛するべく「形」になれるのかどうか、甚だ疑問なのであります。
 多分、平均的な日本人の生き方パターンからすると、弱体者の部類でしょうね。したがって、平均寿命年齢まではとてもとても保つとは思えないのであります。

 羨ましい爺さんの寿命のことはさておいて、カメラの寿命とは如何なるモノであるのか、あなたは考えたことがあるでしょうか。
 カメラの場合、機械としての機能が生きていたとしても、他の要因で寿命が尽きてしまう場合がありますね。
 私達にとって一番厄介な問題が、そのカメラで使われているフォーマットの感材製造中止というやつ。写真術の誕生以来、今までに数多くのフィルムサイズや感光材料が世に出たのですが、多くのフォーマットが消え去ってしまいました。いや、消え去ってしまったフォーマットの方が断然多いのです。小さい順からザッとあげても、近年ではディスク判・16ミリ・ボルタ判・ヴェスト判・大名刺判(6.5×9センチ)・手札判(8.2×10.8センチ)等々・・・。

 例えば、世界最古にして最大のフィルムリーダー、コダック社の例を見ても1895年に誕生した初の民生用「#101フィルム(8.9×8.9センチ)」から今日まで、なんと30種に及ぶフォーマットを誕生させているのですが、現在生き残っているのはわずか3種類に過ぎないのです。
 ちなにみ、この#101フィルムの「#101」とは製品番号の名称なのですが、ここから順に#102・#103と続いていき、現在まで生き残っている「#120(ブローニー)」は20番目に開発されましたよ、というフィルムで発売年は1901年のことですから100年以上にわたって愛用されていることになります。さらに現在、主流になった「#135フィルム(35ミリ)」は1934年に開発されたフォーマットなので、すでに70年が経過しているんですね。
 このように運良く、#120や#135フィルムを使用するカメラを所有して場合は、たとえ100年前のモノであろうと、現在まで問題なく使えるのですが、縦が6センチを越えるフォーマットやカセット式に封印されてしまったパックフィルムなどは供給が途絶えてしまったら、もうどうすることもできません。
 たまに気が向くと、#127(ヴェスト)判のカメラを引っぱり出してくるのですが、正直に告白してしまえば、ブローニーから切り出すフィルムの製作作業は面倒なことこの上ありません。

 さらに厄介なのは1960年代に登場し始めた「電池式カメラ」達です。
 初期の頃のセレンを使用した自家発電式はシャッターとの連動が別個なので、かえって問題を生じないのですが、電池の力を借りて露出メーターを駆動させ、その上シャッターまで制御させているヤツは困ったことになっちゃいますね。
 それは、みなさまも苦労さているのでお判りのように、当時の電池(形式)がもうとっくの昔に製造切れになっているからです。こうなってしまっては、たとえ機能が死んでいなくても、またフィルムが継続供給されていたとしても、カメラとしては寿命が尽きたと言えるのではないでしょうか。

 今回、まな板の上に乗って貰った「ヤシカ・エレクトロGX」というカメラも、水銀規制でとっくに製造が中止されてしまった「HM-N」という電池がないことにはシャッターが正常に機能しませんので、そういう意味ではとっくに寿命が尽きたカメラといえるでしょう。
 しかし、旧いカメラを愛して止まない先輩達のアイデアと工夫のおかげで代用電池を使って動かすというすべを知り得ることが出来ました。このようなアイデアを考案してくださったみなさまに感謝、感謝なのであります。

 この「ヤシカ・エレクトロGX」に関しては、今さら説明しなくともweb上に多くの論評がありますので、私ごときが今さら申し上げることは何もありませんし、コレをお読みのあなた自身がこのカメラの実力については一番お詳しいと思います。
 1966年に誕生した「ヤシカ・エレクトロ35」以来、ヤシカといえば「エレクトロ」という代名詞にまでなったカメラ、その最終を飾ったのがこの1975年に誕生した「ヤシカ・エレクトロGX」。
 そもそも、初号機のヤシカ・エレクトロ35自体が非常に完成度の高いカメラでしたが、それをさらに10年の歳月をかけてじっくり熟成させたわけですから、エレクトロのエッセンスがギュゥ〜ッと凝縮されてつまっているのですよ、この小さなボディにね。
 一言で言ってしまえば、エレクトロの集大成!これで打ち止め、ご苦労さん的カメラですから使い勝手もバランスも申し分ナシ!一家に一台、エレクトロGX。

 このカメラの出現の4年前、オリンパスから誕生した「オリンパス35DC」というカメラによって、その後日本の各メーカーに「40ミリ・f1.7戦争」が勃発する事になります。キャノネットGIII・コニカFD(38ミリ・f1.8)・ハイマチックE・・・大きさはもちろん、機能や形もそっくりで、これらを一斉に並べてちょっと遠くから見たら、どれがどれやら判らなくなってしまうようなカメラ達です。
 このへんがどうも日本のインダストリアルデザインの面白くないところですね、どこか一社くらいはドスンとパンチのあるデザインが出来なかったのでしょうかね、それとも我々のDNAには「横並び」という因子が植え込まれているのか、みなさまはどうお思いになりますか。結局この戦いの決着はどのようになったのか、今となっては定かではありませんが、何処のメーカーも渾身の作としたために絵作りの性能に関しては、優劣が付けられないほどでしたね。このことは1970年代になって、4群6枚構成レンズの撮像手法が確立されていたということだと思います。
 さて、電池の問題がクリアーされて、このカメラ、この先何年生き続けられるのでしょう。キューバのコーヒー爺さんのごとく、120年以上の寿命を目指して貰いたいものです。


もし、アナタが手に入れたエレクトロGXに不具合がありましたら、こちらの諸氏のこページをご参考にしてください。
たかさきさんの報告はこちら

ビュッカーさんの報告はこちら

2005.5.24


electro GXでの作例です

写真はすべてNikon Coolscan IVでネガフィルムを直接スキャニングした画像です。

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今回も、ご覧頂きありがとうございました。

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