argus C3

バブさんの思い出

 昭和30年頃のことです、叔母(母の妹)が結婚したんです。
 お相手は立川基地に進駐していた米・空軍大尉。英語が少し出来たので、基地で事務員として働いていたのは知っていましたが、まさか進駐軍人と結婚しちゃうとは思ってもみませんでした。
 お相手の名字が凄く聞き慣れない名前で忘れてしまいましたが、叔母が「バブ、バブ」と呼んでいたので日本語風にすると「ボブ」さんだったんでしょう。その叔母夫妻に初めて会ったときのことは強烈なショックの連続で、50年近く経った今でも、鮮烈に覚えています。
 小学校にに上がってしばらくした頃、その叔母夫妻に会うため、母に連れられて妹と3人で立川駅まで行ったのです。当時の立川は現在のような繁華街などは全くなくて、片田舎の風情すらある長閑な駅前風景でした。
 その駅前でバブ夫妻に出迎えられ、まず最初のショックです。細身ながら身長2メートル近くあるバブさんを間近で見上げたのですが、いやぁ、その長身にビックリ!
 すると、いきなり妹が抱き上げられ高々と持ち上げられちゃったんです。初めて間近で見る金髪・デカ鼻・目の青い白人です、もうビックリするやら怖いやらで幼い妹は泣き出しちゃったんですね。
 そうしたら今度はバブさんがビックリしちゃって、なだめるつもりだったのでしょう、顔中にキッスを始めたんです。妹はキッスなどされた経験がありません、これは喰われてしまうのではと、さらに恐怖がつのったのか、これでまた火を着けたように泣いちゃって・・・。
 その場であーだこーだとなだめられて、夫妻の車まで案内されたのですが、ここで第二のショック!
 まぁ〜、何て大きくカッコイイ車なんでしょう。明るいオレンジ色と白のツートーンで、手塚マンガに出てくる未来の車のようです。真っ白なシートが恐ろしくぶ厚くてフッカフッカです。
 後年、叔母に尋ねたことがあったのですが「ステュードベイカー・何とかクーペ」と言う車だったそうです。それまでの人生(といっても、たった6年間ですが)で乗った車と言えば”ルノーの円タク”に乗ったのが数回だけだったので、もう、たまげるやら嬉しいやら・・・。
 やがて基地のゲートに着くと衛兵が気を付けをして敬礼。バブさんは軽く敬礼を返したのですが、その仕草がまた映画のワンシーンのようで格好良かったですネェ。
 そして、ゲートを潜ればそこはもう別世界アメリカ、そこいらじゅうに”外人”がうようよいるわけです。基地内をゆっくり走りながら施設を案内してくれたのですが、幼い私達には何がなにやらよく分かりませんでしたね。
 やがて、彼らの住居へ。
 ここでまたショック、この居住区は完全にアメリカの住宅街を模して作ってあって、広い道路を挟んで両側にひろ〜い芝生が綺麗に刈り込んであり、白くペイントされた例のアメリカンな木造二階屋がぽつんぽつんと建っています。その一角を右に折れたところが夫妻の住居でした。
 「すんげぇ〜家だナァ〜・・・こんなデカイ家に二人だけで住んでいるのかぁ〜・・・」
 当時、私達が暮らしていたのは6畳一間のバラックアパートに両親・妹と私の4人、この家の居間だけで自分の家の3倍くらいありましたね。
 次のショックは、部屋の温度。初夏の頃だったと思いますが戸外はやや蒸し暑い気温、それがこのお家の中はヒンヤリヒヤヒヤい〜い気持ち。窓辺に四角い大きな箱が備え付けてあって、そこから低いゴォ〜ッと言うモーター音と共に何とも涼やかな風が吹き出しているのです。キンモチィィ〜〜・・・
 当時、お大尽と言われた家の友達も何人かいましたが、お家にクーラーがある家なんて一軒もありませんでしたから、そりゃぁビックリしたもんです。妹とはしゃぎながら、しばらくその場を離れませんでしたね。
 更にビックリは続くのであります。それは優に大人の背丈ほどもある大型の電気冷蔵庫。
 電気冷蔵庫自体、その時、初めて目にしたのですが私が驚いたのは、その中身。
 丸のまま、直径30センチくらいもあるチェリーパイや大きな紙のバケツのような入れ物に入ったアイスクリーム、見たこともない様々な果物各種、パイナップルの現物を見たのもこのときが初めてで、缶詰の絵でどんなものかは知っていたのですが・・・ジャンケンポンの「ぱ・い・な・つ・ぷ・る」はコレかぁ〜と・・・。
 その他、色とりどりの何だか分からないジュース類のビン・・・。
 私と妹が目を白黒させて眺めていると、どれでも好きなものを食べてネ、と。
 いつもは「名糖ホームランアイス」を後生大事に5分位かけてナメナメしているのが、ここでは大きなスプーンで盛大に食べても一向に減らない。
 おぉ〜、何というシアワセなひととき!このときばかりは子供心にアメリカって天国のような所じゃないかって、ホント思いましたね。
ひとしきり、腹に詰め込めるだけの食物を詰め込むと、今度はバブさんが自分の飛行機を見せて上げると、飛行場へ向かったんです。彼はパイロットだったんですね。
 軍の飛行場ですからみんな星のマークが付いた飛行機ばかりが並んでいる中に、遠目で見ても、ひときわ大きくて旅客機のような飛行機がエプロンに止まっていました。その横にステュードベイカー・何とかクーペを止めると「さっ、着いたぞ」(多分、そんなような意味のことを言ったンだと思いますが、英語だから解りません)と。
 車から降りて見上げたその飛行機のデカイことデカイこと!窓が上下3層になっているので3階建てのような感じです。後に知ったのですが「グローブマスター」という大型輸送機でした。
 機首の下側が大きく二つにパカーンと割れる扉になっていて、そこからトラックやジープなどを出し入れするんだと言っていました。乗員もそこから出入りするみたいで、アルミ板で出来たスロープを上がって中にはいると、3層ではなく、1本の大きなトンネルのようになっていました。
 前方の壁際に簡素なハシゴがあり、そこをよじ登って操縦室に入ります。操縦室は機関士のスペースまで入れると、ゆうに四畳半(どうして広さを畳で計算しちゃうんだろう)はありましたね。こんな大きなものが空を飛ぶンだぁ〜・・・、飛行機に対する私の憧れはこの時から始まったみたいです。
 そんなこんなで驚きとショックと満腹の一日でしたが、もしバブがその日のことを写真にとっておいてくれたらナァ〜と・・・今となっては、記憶だけの思い出です。
 その後、3年ほどしてバブは除隊し、夫妻は立川を離れ、バブの故郷ワシントン州・シアトルに帰っていきました。

 もし、あのときバブがカメラを持ちだして写真を撮っておいていてくれたなら、多分こんなカメラだったのでは、というのが今回ご紹介する「アーガスC3」、通称「レンガ」です。
 このカメラは、いわゆるアメリカの中級家庭用カメラで、戦前の1939年に誕生し、戦後の1957年まで生産された長寿のベストセラーカメラです。生産期間が長かったために生産数も相当だったようで、日本でも数多くのC3を見かけますね。このカメラについてはweb上でも、多数の紹介ページがありますので、細かな諸元については省きます。
 私の所にある個体は、古いタイプの型(18年の生産期間中、基本設計は不変ですが意匠上の変更が幾つかあります)で、トリプレットのモノコート50mm/f3.5のレンズが装着されています。
 メカや外装の黄昏方は相当なものでしたので、時間を掛けて修復を試みました。
 しかし、鏡胴を初めとするアルミ地金製のパーツの腐食はひどく、リューターにワイヤーブラシを付けて白い腐食を研磨しましたが、製造時の光沢を甦らせるには至りませんでした。アルミ材も腐食が進むと深部まで蝕まれて、原型維持が難しくなります。
 メカニズム的には絞り羽が、無事だっただけで、シャッター羽とヘリコイドは堅く固着していて機能せず、分解を余儀なくされました。 
 いつもは、このような場合、ドライヤーで炙りながら固着したグリスを解かし解かし作業を進めますが、今回ばかりはその手が一向に通じず、思案した挙げ句にやってみたのが、半田ゴテの直付けという無謀な方法です。
 鏡胴はアルミ製なので熱伝導がいいはずと、思いあまってやってみたのですが、コレが功を奏し緩めることが出来ました。
 外してみると、白く粉状に変質したグリスが回転を阻止していることが分かりました。結局、半田コテの熱でグリスを溶かしたわけではなく、熱でアルミが膨張し、緩めることが出来たんですね。

 さて、このカメラ、使ってみたのですが、どうにもこうにも、たいそう使いづらいカメラです。
 まず、カメラ単体では、非常に持ちにくいのです。写真をご覧になればお判りでしょうが、こんな角張った四角い箱ではどうにもなりません。さらには、フルメタルで出来ているために相当な重さもあります。
 仕方なくケースに入れてということになるのですが、このケースがまた何の工夫もないのです。というか、なんでこ〜なるの?と言いたくなるほどの考えナシ。あまりの不器用さに呆れて、写真でお見せしますが、もともとこのカメラ自体、決して小型ではないのです。そこへ持ってきて、このケースには、わざわざご丁寧にアンコまで入れて、さらに膨らませているの。
 このアンコは左右両端の半月形だけに留まらず、底にも6ミリほどの布団を敷いて嵩上げしてある始末。ぶ厚いわ、幅広だわ、重いわでどうにもなりません。ど〜して、ど〜してこうなるの、おせ〜て。


 身長2メートルのバブならいざしらず、私の手ではとてもとても持ちきれるのではありません。
 その他の点については、ライカD型と同様な二眼式のファインダーやシャッターチャージレバー、手動式の巻き上げ解除ノブなど、クラシックカメラを使うための心地よい操作感は充分満足させてくれます。おまけに肝心の写りときたら、独逸レンズを凌いでいるのではないかと思わせるほどの力があるのです。
 使い辛さを心から楽しめる「フェチなる価値観」をお持ちのアナタにはお薦めの写真機ではありますが・・・。

 今回は、バブ夫妻を偲んで、このカメラを持って立川基地を50年ぶりに訪れたかったのですが、かの基地はとうの昔に日本に返還され、いまは大きな公園となってしまい、基地の雰囲気すらなくなってしまいました。
 そこで、お隣の横田基地に出向き、当時の雰囲気を少しでも味わってみようと、このカメラを抱えて行って来ました。

2004.4.26


アーガスC3の作例です

以下の写真は、Kodak Gold200をフジのラボで現像。
Nikon COOLSCAN IVでネガフィルムを直接スキャニングした画像です。

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