PIONYR

美しい若人

 みなさん、最近気付きませんか? いやぁ、なにがって日本人の美貌ですよ。女性はもとより男性も実に美しくなりましたよね。
 もっとも、美しくなったのは30代半ばくらいまでの若い人々ですがネ。別な言い方をすれば我々の子供達世代、いわゆる団塊ジュニアと言うことになりましょうか。
 まず、スタイルがすごくイイ!身長はスラーッとして高く、足も湾曲せずに真っ直ぐ長い。顔やヘヤースタイルもそこそこのお金を掛けているのでしょう、思わず振り返ってしまうような美貌の人が普通にゴロゴロいますね。

 これは日本人の中で、何かが変わったことは確かですね。年代からすると高度経済成長以後にお生まれになった方々ですから、少なくとも食べる物や着る物に不自由はしないどころか、好きな物だけを選んで食べることが出来た世代です。
 その食べ方だって我々世代が、まぁ〜るい、ちっちゃな卓袱台(ちゃぶだい)を一家で囲んで、正座をしながら食事をしていたのとは違い、住の洋風化とやらでテーブルとイスでの食事が定着した世代です。
 学校で出された給食の内容なんかも影響しているんでしょかねぇ、彼らがどんなメニューの給食を食べてきたのかよく分かりませんが、少なくとも本物のお肉や牛乳を口にしていたことは容易に想像がつきます。

 私達が食べていたお肉は、そのほとんどが鯨肉、ごくたまにシチューなどに豚肉が入っていましたが、これらはすべて脂身だけ。それもご丁寧にジャガイモとまったく同じ大きさの賽の目切りにされていましたね。ジャガイモだとばかり信じて口に放り込むと、グニャ〜とした感触と共に口イッパイに脂が・・・オ〜マイゴッド!こんな手口で子供を騙すなつぅ〜の・・・。
 いやね、別に豚の脂身が食べられないわけではないのですが、ジャガイモだと信じて口中に放り込んだ物が、まったく違う食感と味なわけですから、誰だってゲェ〜ッとなりますよネ。
 鯨肉だって、今でこそ捕鯨全面禁止のせいで貴重品扱いですが、実際は固いし筋はあるし、おまけに独特の臭いというかクセもあります。鯨のベーコンなんて、一度ガソリンの中に漬け込んだのではないかというような臭いがしていしましたよネ、豚や牛に比べたら味覚的にははるかに劣りますよ。
 それに、アルマイトのお椀で飲んでいた「ミルク」と称していたモノ。中身は占領軍から無償提供を受けていた「脱脂粉乳」、確かに「乳」ですからミルクには違いないのですが、本物の牛乳に比べたらその味は子供でもハッキリ分かるほど違っていました。もし、アナタが物好きで、どんなモノか味わいたいとお思いでしたら、今でも味わうことが出来ます。スーパーや薬局で「スキムミルク」という名称で売っていますからお試しになってください。
 しかし、幸いなことに当時、私の家は極貧の真っ只中でしたので、鯨肉も脱脂粉乳も家庭では口に出来ない極上品、すべて美味しい、美味しいと感じて完食していました。
 これほどに違う栄養摂取を受けられた若い方々、そりゃぁもう立派な体躯と美貌になられるのも無理のないことですよ。

 さて、目を若い人達から物へと移してみても、、身の回りのモノすべてが美しくなったと思いませんか。
 たとえば、もっと身近なモノでは、家電品や自動車などの耐久消費財なんて、世界のトップレベルのデザインセンスです。いま、あなたがお使いのPCにしたって5年前のモノと比べたらすごく美しいフォルムになっているでしょう。
 このようにして美しい物に囲まれて生活をしていると、知らぬ間に脳の美的感覚が向上していきます。したがって、平成になって生まれたような世代は身の回りの物すべてが、最初から美しい物に囲まれていますから、それがスタンダード、ことさら美しいとは感じていないはずです。
 実はここが重要な点で、相当レベルの高いデザインセンスが標準感覚になっていますから、鋭い感覚を持った人は更に高いレベルの達成が容易に可能となります。
 我々のような団塊人種は、まず食べること、雨露をしのげる屋根のあるところで暮らすこと、そして寒暖を調節できる衣服を身に纏うこと、コレが最重要で、デザインや色なんて二の次、三の次だったわけです。
 これもすべては、戦争で大きな傷を負ってしまったせい。とりあえずは生き延びなければなりませんので、それまで連綿として引き継いできた衣食住に拘わる文化は一時停止状態になってしまいます。
 このことは同様な試練に直面したドイツや、ポーランド、チェコ、イタリアに於いても経験してきたことだと思います。

 先日、ある新聞にとても小さなコラム記事でしたが、ポーランドの首都・ワルシャワのことが書かれていました。それによると、前の戦争で壊滅してしまったワルシャワの町並みを以前の状態に戻し終わり、その記念式典が行われたというのです。
 うぅ〜ん、これはどういうことなんでしょう・・・新生する事を敢えてせず、60年の歳月をかけて元々あったままの状態に戻したというのです。
このような発想は、根本的に日本とは随分違いますね。これはことの是非ではなく、文化をどう見つめるかの違いですね。

 さて、ポーランドのお隣、チェコについても戦後の歴史の中で翻弄され、ついには国自体が分断されてしまっていますが、ここに約50年くらい前に作られただろうと思われるチェコスロバキアの写真機があります。前回のVPK3と同様にコヤノさんからお借りした写真機であります。
 この写真機、レンズと取り囲む飾りプレートに「PIONYL」と印されています。ピオネールとでも読むのでしょうか、詳しい来歴は判らないのですが、ボディ前面左側には「DUFA」、右側には「FIT II」と言う小さな文字も浮き出し加工されています。DUFAというのが製造会社名なのでしょうか、PIONYLというのが機種名なのかよく分からないのです。
 以前にご紹介したフランスの「LEC jr」よ非常によく似たスタイルと構造を持った写真機で、同じくアメリカ製の「Beacon」とはフィルムフォーマットが違うだけで、全体の雰囲気は大変よく似た写真機でもあります。1950年代には、このようなベークライトを主素材にした写真機が世界中で作られた時代でもありました。鉄板のプレスでは難しいような曲線加工も射出成形の元祖だったベークライトは世紀の新素材と言うことで大いにもてはやされたのでしょう。

 では、この写真機の大まかなプロフィールを・・・ブローニー120フィルム使用で6センチのスクェアフォーマット、マスクを付けて645にもなったようですが、この個体にはもうマスクが付いていませんでした。シャッターはいわゆるバルブとインスタントの2速のみ、絞りも鉄板に開けた大穴と小穴をスライドさせて切り替えるプリミティブなものがあるだけです。そして肝心のレンズは凸レンズを向かい合わせに配したダブレット。もちろんこれでは収差が収まりませんので、フィルムはガイドレールにより湾曲されてセットされます。
 撮影時は鏡胴全体を反時計方向に捻るとピッチの大きなスクリューによって、半回転ほどで2センチくらい出っ張って固定されます。まぁ、沈胴式ちゃぁそうなんですが、劇的にボリュームが変化するわけではありません。

 しかし、相変わらずこういう写真機が好きで止めらんないんですね。もう、最近ではこの手の物は解像に関しては期待できないことははっきり判っていますので、雰囲気を楽しむんですよ。どんな被写体だったらこの写真機が応じてくれるだろうか、どんな光までなら許してもらえるのだろうか・・・、そんな楽しみ方ですかネ。
 キリキリとした状況で、撮影者のリクエストの応えてくれるような写真機ではありませんから、あくまで遊び心が大切!写ってくれたら大儲けみたいな気分、うん、これは贅沢な時間を共有できますよ。
 さてさて、わたしが押したシャッターにはどんな絵が定着できているでしょうか、不安でもあり、楽しみでもあり、あれれれぇっ・・・・。

2004.10.5


PIONYRでの作例です

以下の写真は、Konipan 100をエヌエヌシー社のND-76で標準現像処理。
キヤノン Canoscan D2400Uでネガフィルムを直接スキャニングした画像です。

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本来は固定焦点の写真機なのですが、ちょいとイタズラをして鏡胴をネジって若干短くして
撮ってみると、グラグラした鏡胴で光軸がズレるのか下辺の光量が足りなくなってしまいました。

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