Aires 35IIIC

若いあなたへ

 この10年くらい、若い人達のことでよく話題に上がるのが「自分で自分のことを決められない」人のことが出てきますね。
 大学まで卒業しておきながら定職に就かず、いわゆるフリーターを何年も続けている人。もっとひどくなるとアルバイトすらせず親に衣食住の100パーセントを依存しっぱなしの人も数十万人の規模でいると聞いています。
 面倒な先のことはとりあえず先送りして、今さえ良ければと考えてしまうのでしょうか。それにしては、あまりに数が膨大なことが気にかかります。
 世代的に見るとちょうど団塊世代の子供達になるのでしょうか、社会現象というか社会問題にもなってしまったこのことは、単に当事者だけに問題があるのではなく、その彼らを育ててきた我々や学校、社会に問題があったことは間違いありません。
 ここでその謎解きをするのは、この稿の本意ではありませんので止めますが、もし、そのような人が身近に居るのであれば、こんな提案をしてみたらいかがでしょう。

 それは、オートバイに跨ってみませんか、というお話です。
 いや、ただオートバイに乗って無茶飛ばしをしなさいと言っているのではありません。オートバイに乗って何処か知らない町や村、あるいは山や草原に旅をしてみませんかと言う提案です。
 旅に出るのなら、別に鉄道や飛行機という手段が普通なのですが、あえてオートバイでと申し上げているのは、この乗り物、自分で自分のことを決めないと上手く折り合いが付いていくれません。
 これは、同じ道を走る自動車とはまったく違っていて、自己では自立安定が出来ませんので運転という要素と共に操縦という制御も必要になってきます。
 実はこの操縦という部分が「自分で自分のことを決める」ことに大変役立つのではないかと思うのです。また、ラジオやTV、ナビゲーションなどの電波情報からも遮断されてしまいますから、情報的孤立をも経験することになります。
 よって、自己の判断、そして決断、その結果の責任とすべてが自分に帰結しますので、自立の手助けになるのではと。

 例えば、あなたの住む町を日の出と競うかのようにして早朝5時に出発します。空を見上げると幾分雲は張り付いていますが、とりあえず雨はなさそう・・・。
 大きな川に架かる橋をいくつか渡り、徐々に標高を上げ、やがて完全な山道に。やや薄くなった空気に喘ぐエンジンを騙し騙しなだめて、峠のてっぺんに辿り着きます。
「ここからは、下りだ。ふもとの町に着いたら昼飯にしよう」と、道を下りかけるとすぐにバケツをひっくり返したような雨。
「参ったなぁ、雨宿り出来そうな場所もないし、道は泥と砂利でスリッピーだし・・・」聞いてくれる相手も居ないのですが、一人ごちて進むべきか、止まって雨をやり過ごすか判断に迷います。
 先を急いでいるわけでもないし、ここはカッパを着込んで、雨雲の通過を待とうと、冷静に判断。
 やがて雨も止んで再出発、幾つもの村や町を通り、広々とした海岸線まで日暮れ近くまで300キロを走ってきた。目的地まではまだ5分の1ほどだけど、今日一日だけでもたくさんの出来事があったナァ〜、とひとり砂浜に張ったテントの中で横になりながら、振り返ります。
 バイクを降りて2時間も経つのに、手足にはエンジンの振動の余韻がまだ残っていることを感じつつ、疲労したカラダが深い眠りにとひっぱりこんでいきます。

 ということで、家を出てから目的地に着くまで、またそこから家に辿り着くまで、すべての時間と行動を自身の判断と決断の連続ですね。たとえ1週間ほどの旅でも、このような経験は成し遂げた本人にとって将来への大きな自信と意欲の元となるのではないでしょうか。
 すべてを自身の判断でと言う点では、マニュアルカメラと付き合うというのもいい方法かも知れません。
 こちらは、オートバイほどアクティブで決断は必要ない代わりに、静的でセンシティブな決断を要求される作業が必要ですね。
 露出メーターも自動合焦装置も何一つ無い、無電気フルマニュアルカメラ、この潔さが悶々として何をしたらいいのか迷っている若者にぴったりではありませんか。
 距離計が付いていれば、ピントだけはその場で判断できますが、露出だけは現像をしてみないことにはどうなっているか判らない。もちろんこの場合でも、単独露出計など使ってはなりません。あくまで、自分の判断で露出を決めて下さい。最初は光を読み違えてアンダー・オーバーと失敗の山を築くでしょうが、その経験値が徐々に蓄積していき、やがて彼の眼は正確な露出計へと変貌していきます。
 若い頭脳は飲み込みが早いですからね、3ヶ月もすれば相当に複雑な光線が入り交じっていてもドンピシャで露出を判断できる眼になっていることでしょう。そうして半年ほども経てば、無気力で依存性の強かった性格もすっかり変わって、他の物事にも興味が出て積極的になれるのではないでしょうか。

 それでは今回はそんな若者に、ぜひ使って貰いたいフルマニュアカメラをご覧戴きましょうね。1957年、アイレス写真機製作所から発売された「アイレス35IIIC」というカメラがそれです。
 アイレス写真機製作所は、昭和22年(1947)に創設された「ヤルー光学」が前身で、9年後の昭和25年に社名をアイレス写真機製作所と変更しました。
 ヤルー光学は新橋の田村町で誕生し、今となっては伝説としてみなさまよくご存じの「ヤルーフレックス」を生み出した会社ですね。で、一時はこのヤルーフレックスが欲しくて欲しくてしょうがなかったのですが、これが色々調べていくうちに、入手はほぼ絶望と断念せざるを得ないことが判ってきました。その辺の事情は読者諸兄の方がお詳しいと思いますので省きますが、なぜ、筆者がヤルーフレックスに執着したかというと、わたしも昭和24年に同じく新橋田村町で誕生したからなのであります。
 言ってみりゃぁ同じご町内ですから、えもいわれぬ親近感を覚える訳なんです、同郷意識というやつでしょうかね。
 いま、この地は新橋三丁目と町名を変え、都会のビジネス街へと東京でも真っ先に変貌してしまい、田村町時代の面影を偲ぶものは一切合切消え失せてしまいましたので、田村町の臭いがするものに敏感でもあるし、恋しくもなってしまうわけなんです。


ボディと面一に沈み込ませたシャッターボタン、同様の処理がされた巻き戻し・
巻き上げレバーの設計と意匠が素晴らしいではありませんか。
間違いなく昭和の名機、ニッポンの名機と言っていい写真機なのであります。

2004.12.21

アイレス35IIIcでの作例です

写真モノクロはNEOPAN 100をミクロファインで標準現像処理。
カラーはアグファ・ウルトラを純正現像。
Nikon Coolscan IVでネガフィルムを直接スキャニングした画像です。

1

2

3

4

5

6

7

このカメラを持ってアイレス発祥の地、新橋を訪ねてみました。
旧住所を辿りながら、着いた先は小さな飲み屋さんが軒を並べる細い露地。
昔は烏森の周辺当たりに花柳界が広がっていましたが、少し外れたこの辺は
結構、町屋や家内工業の作業場などが並んでいたのですが・・・。
見上げるとシオサイトの巨大ビル群がすぐそばまで迫っていました。

一覧へ戻る